暁美ほむらが風邪をひいた日







cold case





 魔法少女になってから風邪をひくのは、3度目だった。
 1度目は、まだ眼鏡をかけていた頃。皆が凄く心配してくれて、特に巴マミ佐倉杏子がやたら煩く世話を焼いてくれたのを憶えている。
 2度目は、「もう誰にも頼らない」と1人で戦い始めて間もない頃。死にかけた。1度目の時に巴さんと杏子がどうしてあんなに私に気を使ったのかをそれで理解した。あの人達も同じ経験をしたのだと、朦朧とした頭で悟りながら、その周回を棄てた。


 2度あることは3度あった。


 或いは、3度目の正直で今度こそ私は死ぬのだろうか。
 風邪で死んだ魔法少女を、円環の理――まどかは迎えに来てくれるのだろうか。
 ベッドに横たわり、熱を測りながらぼんやりとそんなことを考える。
 先程、1度目の時と同じ様に心配し、同じ台詞を言いながら世話を焼こうとしてくれた巴マミは丁重に追い返した(今日は大事な説明会の日だと前から言っていたくせに、何をやっているのか)。
 佐倉杏子も留年のかかった追試があって休ませるわけにはいかない。半ば同居しているあの子は巴マミが見舞いに来る前にとっくに叩き出していた。


 ピピッ。


 1人きりの部屋に、電子音が小さな音のくせに響き渡る。
 39.7度。
 見なきゃよかった。


 ケホッ。


 ため息を吐いたら一緒に咳が出た。


 ピロリンッ。


 咳の合間に、体温計とは別の電子音が聞こえた。
 枕元のスマートフォン巴マミからのメールが届いている。何かあったら遠慮せずに救急車を呼べと書いてあって笑う。佐倉杏子は携帯電話を持っていないから(距離がありすぎて学校まではテレパシーは届かない)。自分も連絡をもらっても今日は駆けつけられないから。…だから救急車って、幾らなんでも大袈裟だろう。それに、何かって、何だろう。魔獣が出るとか?
 笑ったらまた咳が出た。息が苦しい。頭が痛い。
 深呼吸したらヒューヒューと鼻と喉から音が出た。笛みたい。
 また咳が出る。
 痰を吐き出す。
 枕元のティッシュをひっつかみ、鼻をかむ。
 息を整える。
 マミが置いていった風邪薬を、同じく置いていってくれた、ペットボトルのスポーツドリンクで飲む。
 ……少し落ち着いた。
 熱のせいか、薬の作用か、頭がぼーっとする。そのぼんやりとした頭で再度考える。
 何かあったら。
 魔獣が出たら、どうしよう。
 いや考えるまでもない。魔法少女なら戦うべきだ。それが使命だ。
 それに――。
 風邪で死んだらまどかは私を迎えに来てくれないかもしれない。来られないかもしれない。
 でも、戦って死んだなら、きっと――

***



 魔法を使うと身体が熱を持った。火照るとかそういうレベルではない。血が沸騰しているのではないかとすら錯覚する。熱い。


「ほむら、風邪に対して回復魔法を使うと、ウイルスを殺そうと体内の発熱が加速されて逆に体力が」


 五月蝿いインキュベーター、ならその体力も魔法で回復させるまでよ。熱すぎて動けないって言うなら、それも魔力で強制冷却できるでしょう?


「それは魔力の消耗が激しすぎる。一歩、進むだけでもジェムが――。濁りきったら君は消滅してしまうんだよ?」


 知ってるわ。以前そうなりかけたことがあるもの。それならそれで好都合よ、魔獣を道連れに破滅してやるわ。そうしたら、堂々と円環の理に導かれられる。それなら、それなら、不可抗力だもの。精一杯生きて、戦って、あの子の守りたかった場所を守った結果だもの。がんばったねって、まどかに認めてもらえるわ、きっと――

***



 額にひんやりとした感触がして私は瞼を開けた。夢? まだ、生きてる――?


「悪い、起こしちまったか? でも、熱そうだったからよ」


 声のする方向を見ると、制服姿の杏子がいた。氷嚢の氷を交換してくれたらしい。包んだタオル越しの、冷たすぎない涼感が心地よい。頭痛は治まっていた。ただ、さっきより少し身体が怠い。


「……あなた、追試は?」


「開口一番それかよ。追試は放課後だよ。今は昼休み――はちょっと過ぎちゃったけど、まぁ、追試までにはガッコ帰るから」


「留年かかってるのにサボるとは――どこまで貴女は愚かなの」


「5時限目は先生が出張で自習だからバレねえよ大丈夫だよ」


 いつもなら腹を立てて突っかかってくるだろう物言いに、私が病気のせいか、杏子は苦笑いしながら、優しく話しかけてきた。気味が悪い。


「今、気持ち悪いとか思っただろ」


「思ってないわ」


「言っとくが、普段、人に偉そうなこと言ってるくせに、体調管理もできねえってのも相当愚かだからな」


「バカにバカって言われるのって、こんなに屈辱的なのね…」


「んだとコラ…って、笑ってんじゃねえよ」


 私達は顔を見合わせて笑う。また少し、咳が出た。


「飯は?」


「巴さんが温めるだけでいいって作っていってくれたパン粥が」


「んじゃ、あっためてくる」


「貴女、時間は?」


「だから、これくらいなら余裕で間に合うって。ああ、それと――」


 言って、席を立つ前に杏子は紙、ノートの切れ端を私に差し出した。


「なにこれ。…何かの暗号?」


 文字の羅列。11桁の数字。3桁−4桁−4桁。


 xxx-xxxx-xxxx


「あたしのケーバン」


「…あ。…え? 貴女、テレパシーあるからケータイなんかいらないって、持ってないでしょう」


「さっき契約してきた」


「え?」


「緊急時以外に鳴らしたら、殺すからな」


 取り付く島もなく、そう言い放って杏子はキッチンに消えた。
 1人取り残された私は、消えた杏子の背と、その紙に書かれた番号を交互に見つめてしばし呆然とする。そして、我に返ると、枕元の自分のスマートフォンを取り出し、咳き込みながら、その番号をタッチした。
 キッチンから、電子音が鳴り響き、次いで、うわっち!? という杏子の声が聞こえて、私の口端が少し上がる。


「てめえ、言った側から鳴らしてんじゃねえよ!」


「鳴らさなきゃ貴女、私の番号わからないじゃない?」


 キッチンからの怒鳴り声に、ちょっとだけ声を張り上げて答える。
 手書きのメモで番号を伝える辺り、どうせ操作方法だってまだよく分かってないんだろう。呼び出し音を鳴らしたまま鍋を持ってくるだろう杏子を想像して、どう対応してやろうか思いを巡らす。さっきのお返しで、いきなり素直にありがとうって言ってやろうか。
 考えている内に可笑しくなって、スマートフォンを握りしめながら、私はまた、咳き込みながら、笑い出していた。










――こんな小さな幸せに、私は必死に縋り付いて、生きている。










<了>