それは舞い降る雪のように

 それはきっと、2度目だった。
 気が付くと、どこでもない場所にぽつんと浮かぶ巴マミの部屋に、佐倉杏子はいた。


「あー、これはあれか、前の、鹿目まどかの時と一緒なのか?」
「多分そうね。今の今まで忘れていたけれど」


 呟くと、いつの間にか目の前には巴マミがいて、ケーキを切り分け、紅茶を淹れている。
 円環の理に導かれるはずだった暁美ほむら。その暁美ほむらが円環の理――鹿目まどかに叛逆し、そのソウルジェムから呪いよりおぞましい何かが溢れだして、世界が割れた。
 世界に新たな理が生まれるのだろう。鹿目まどかが円環の理になったあの時のように。


「で、肝心の、これから概念になろうって奴はどこにいるんだい? 前と同じならそいつにあたしらは呼ふぁれふぁんふぁろう?」


 切り分けられたロールケーキを手で摘み、かぶりつきながら杏子はマミに問うた。私達は暁美ほむらに呼ばれたんだろう?


「さあ…。貴女と私しか、ここにはいないみたいよ。暁美さんも、……鹿目さんも見ていないわ」
「さやかも、アンタのベベも?」


 心なしか寂しそう巴マミは首を横に振った。
 どうしたもんか、と立ち上がった時、杏子はポケットにスマートフォンがあることに気がついた。ここって電波届くんかな。取り出して確認しようと画面を見ると、相手先:暁美ほむらでの通話終了の画面表示のままだった。


(貴女の手は煩わせない。巻き込んでしまって、ごめんなさい)


 最後の通話を思い出す。……と、記憶と同時に、静かに、だが沸々と怒りが湧き出してくる。口端が少しずつ上がっていくのが自分でも分かった。


「さ、佐倉さん? なんだか凄くいい笑顔してて怖いんだけど」
「元々笑顔っていうのは獰猛なもんらしいよ?」
「なるほど笑顔から溢れる八重歯がまるで肉食獣の牙のようで素敵ね…。……まぁ、なんとなく気持ちはわかるけれど」


 肩をすくめるマミに、杏子は歯を見せて笑いながらケーキをもうひとつまみ。


「直接あいつをぶっちめてやったアンタはまだいいだろうけどさ、あたしは色々と欲求不満なんだよねー」


 紅茶を啜り、さらにケーキをもうひとつまみ。今更、あいつに対して何が出来るというわけでもないのだろうけれど。だからこそ、腹ただしい。


「そこら辺がわかってるから怖くてあたしの前に顔を見せないのかな、あのアンポンタン」


「前々から思ってたけど、佐倉さん、アンポンタンとかバーローとか、そういう言葉ってどこで覚えるの?」
「アンタのティロなんとかとかはどこで覚えたのさ?」


「暁美さんが顔を見せないのは、怖いっていうより……ううん、怖いのかな。顔向けできないって気持ちなんじゃないかしらって気はするのよね」
「確かに魔女化したほむらはあたしらに顔向け出来ないって感じだったな。向ける顔半分なかったもんな」


 その冷たい頬に触れた感触が杏子の手には残っている。葬式で、棺桶の中に花を手向け、最後にその顔に触れた時と同じ感触だった。知らず、杏子は奥歯を噛みしめる。


(ほむら……)


「……莫迦! アンポンタン!! オタンコナス!!」
「さ、佐倉さん!?」


 杏子の大声がマミの部屋、を通り越して辺り一帯の時空に鳴り響く。


「ちょ、ちょっと声が……」
「声がなんだよ、あのオタンコナス! 1人で、独りで何もかも決めちまいやがって! わかった振りなんかして素直に引き下がるんじゃなかった! 飴なんかくれてやるんじゃなかった! ああクソ、莫迦、アホ、暁美ほむら莫迦!!」


 と。――
 杏子の鼻先に、何かが触れた。
 白い蝶が舞っているのだと杏子が一瞬勘違いしたくらいに、それはゆっくりと、音もなく、窓の外に夜景の見える巴マミの部屋の空間をジグザグに通り過ぎてから、塵一つ無い床に落ちて止まった。


「……紙?」


 たしかにそれは紙片だった。
 見滝原中学校の生徒手帳。その1頁が、破り取られて、ひらひらと床に落ちてきたのだ。
 何もない空間からあらわれて、落ちたのだ。
 杏子は紙片を拾い上げた。何かが裏に書いてある。そこにあった、ほんの短い一言は――

  <忘れない>


「佐倉さん、もう一枚!」

 巴マミが叫んだ。杏子は天井を見上げた。
 空中から、2枚目の紙片が出現するところだった。つかみとって、書かれた文字を読む。

  <ごめんなさい もう少し詳しく書くべきよね
   私は あなたのことを 決して忘れない
   だけど 私のことは 忘れてもかまわない>


 杏子は、今度は叫ばなかった。
 ほむらのことを莫迦ともオタンコナスとも呼ばなかった。
 なぜなら呆然とする彼女たちの前に、紙片はさらにもう1枚、2枚、4枚……それこそ雪のように、途切れることなく降ってきたのである。
 そのすべてに、丁寧な文字で、メッセージが書かれていた……

  <また言葉が足りなかったわ
   私の悪い癖ね
   まどかを救う方法がわかったの 私はそれをする>

  <インキュベーターの罠の仕組みを理解した時に
   あの魔女結界と遮断フィールドを、
   まどかやさやか、そして貴女たちがどう処理し
   どう私を助けようとするのかがわかった時に
   貴女達のお陰で>

 

 <追伸
   貴女達にもう心配はない。
   私やまどか、円環の理がいなくなっても
   インキュベーターは貴女たちに手は出せない
   むしろ私のほうが問題を起こしやすくなっている
   このまま暫く待てば貴女達は 私が円環の理に導かれた後の世界に行く
   マジュウと戦ってきた、元の世界に戻る>

 

  <追伸(2)
   美樹さやかに続いて私も行方不明
   学校や警察が調べると思うけれど
   今回の事件はすべて 暁美ほむらという奇妙な転校生の
   せいだったということにすればいい
   誰かが私の部屋を調べれば 私が怪しい人間だというのは
   すぐに分かる
   (貴女は安全よ……いざとなれば風見野市に帰れば
   「ただの家出少女」で済まされる)
   だから大丈夫
   戻りたくない場合は 書類を偽造すればいい>

  <追伸(3)
   書類の件は 美国織莉子に聞けば 詳しい方法を教えてくれる
   以前にも何度か 同じことをやった
   見滝原中学校に通いたければ それも手配してくれると思う>

  <美国織莉子は 未来視が出来る 魔法少女だから
   貴女達が知らなくても 向こうから接触してくれる
   ……と思う>

  <訂正
   よく考えたら 書類とか偽造する必要ない気がする
   巴マミに相談して 普通に転入手続きすればいい>

  <これで最後よ
   この紙片は誰にも見せないで>

  <訂正
   ただ おそらくあなたのことだから 巴マミだけには
   見せているのでしょう(もしかしなくてもそこにいるわよね)
   それならば しかたない
   ただし インキュベーターにだけは 絶対に見せないで>

 

 <これが本当の最後よ
   私は独りで 往く
   だから>


 杏子は最後の1枚を読み終えて、無言でマミに渡した。


「――さようなら、ってこと?」
「いいや」
「え?」
「違うな。そうじゃねえな」
「……佐倉さん?」
「あいつ、ほむら、本当に莫迦だなぁ」


 杏子はマミに背を向けて、天を仰いだ。


「口下手なのは、文字にしても変わらねえんだから、ほんとにさあ! こんなに綺麗な文字で書くヒマがあるなら、もっと大きな紙を用意しておけばいいのに……まったく、世話が焼けるったら! オマエの方が心配なのによ! 口下手で、恥ずかしがり屋で、危なっかしくて、体力だってそんなにあるわけじゃないのに、何度も、何度も、時空を超えて」
「……佐倉さん」
「……何度も、何度も……いつもと同じ波長の、魔力を使って……!」


 なぜなら杏子には分かっていたのだ。
 暁美ほむらがほんとうに言おうとしていることが何なのか。自分に伝えようとしている言葉は、なんなのか。
 これだけたくさんの紙片を飛ばして。幾度も幾度も、魔法を使って。
 こんなにたくさん魔力の痕跡を残したら、お前が今どこからこの時空に干渉しているかなんて、簡単に感じ取れるんだぞ。
 私らは、そのくらいには一緒に戦ってきたんだぞ。
 巴マミは「繋ぐ」ことに特化した魔法少女なんだぞ。
 いくらなんでも、暁美ほむら、お前、それぐらい気づいているよな?
 だから。


(来る?――)


 書かれていない言葉を、杏子は読み取っていた。言葉の裏側、無数の紙片に隠された真の暗号を。


(ついて来る? 佐倉杏子巴マミ?)
(私を追ってこれる?)
(私が今、どこにいるか、読み取れる?)
(ついて来るつもりが、ある?)
(私はまどかを救いに行くの。貴女にとっては何の得にもならないことのために、世界を、神様を敵に回しに行くの。――貴女は、どうする?)
(私を追ってくる?)
(貴女たち以外の娘のために戦おうとしている、私を)
(来るの、杏子?)
(それで本当に、後悔しない?)


 杏子は涙をぬぐわなかった。


(ほむら)


「私達がそっちに行ったら、また喧嘩のやり直しなのかしらね」
「喧嘩にすらならねえかもしれねえぞ。……ダリいな」


 お前と違って、ここでのことなんか、これまでのことだって全部、忘れちまうんだぞ、私らは。
 あたしらがこのままマジュウ世界に戻ったとしても、どうせそっちの世界にだってあたし達はいるんだろう?
 アンタに都合のいい私達だって、用意できるんだろう? それだって、私達には違いないんだろう?


(……ほむら!)


 その時。――今度こそ最後の一枚が、杏子の前にあらわれた。
 それは黒い羽へと変わり、掴みとったその時、スマートフォンがメールの着信の電子音を鳴らした。

  

<もしも
    もしも
    やり直せるとしたら

    杏子 貴女なら
    どこからにしたい? どこまで遡りたい?>



 ――いつのまにか部屋の床は、白い紙片で埋まっていた。


(もしもやり直せるとしたら)


 どこから?
 やり直せるとしたら、どこから?
 ぶら下がる父さんと、燃え上がる教会。もしもあの時、私が魔法少女になっていなかったら。
 駅のホーム。変化するさやかのソウルジェム。もしもあの時、ほむらが私の手を取っていなかったら。
 一年前。巴マミ。もしもあの時、マミさんにつらくあたっていなかったら。マミに出会っていなかったなら。キュゥべえのあの言葉がなかったら。
 時間を超えて、空間を超えて。
 どこから?


「そんなの――考えるまでもねえんだよ」


 大粒の涙を、ポニーテールの少女は、流れるままにさせていた。


「……だって、どこからやり直したって、あたしは、きっとここに辿り着くからな!」


 <了>