『とらハ』から『なのは』へ 〜都築真紀、萌えから燃えへの軌跡〜 後編

前編はこちら

●まとめ

 都築真紀の作品は、あたりまえの日々を描く。

 特殊な設定、特異なキャラクターが多く登場するのに、描かれるのは最終的に、当たり前の日々、日常だ。

 純愛系の18禁美少女ゲームにとって「特別」だったHシーンを多量に描くことで、日常に落とし込んでしまった『とらいあんぐるハート』や、性交可能な人型のケモノがペットとして存在・販売される非日常をあたりまえの日常として描ききった『わんことくらそう』は好例だろう。

 都築真紀の作品には、どこかで見たようなものが多い。

 そもそも『とらいあんぐるハート』は、『ToHeart』のフォロワーだったし、ヒロインの一人の野々村小鳥は『カードキャプターさくら』の主人公、木之本桜によく似ていた。綺堂さくらの出生は『ときめきトゥナイト』そのものだったし、『2』は『ラブひな』を思い起こさせた。リスティは『サクラ大戦』のレニだし(知佳とリスティ、アイリスとレニという対比も含めて)、『五月の雪』のゲスト設定は『うしおととら』のお役目様と白面の者、更にとら、潮とのミックス、別れ際は『Ys』のフィーナだ。『3』の小太刀二刀流は『るろうに剣心』の青紫だし、射抜は牙突。流派の裏が不破なのは『修羅の門陸奥圓明流だし、『魔法少女リリカルなのは』だって、ステッキ「レイジングハート」は『カードキャプターさくら』のものにそっくりだった。

 けれども、都築真紀の作品がそういった事を指摘されたり、そういった文脈で語られることは殆どない(古いファンなら、ヨーグルトさんの「Bonus Track -PCTRH Mix-」なんかを思い出すだろうけれど)。

 どこかで見た何かも、あたりまえの日常と化しているかのようなマジックがそこには存在する。

 都築自身は、鋼屋ジンとの対談の中で、自身の創作スタイルを料理に喩えてこう言っている。



鋼屋「クリエイターという人種は、自分が「これはおもしろい」と思ったものを、心の中の『おもちゃ箱』にどんどんぶちこんでいくんですよね(後略)」



都築「そうですね。どちらかというと、自分の場合は『冷蔵庫』かもしれません。人生の中で、面白いことや嫌な事、いろんなもの溜め込んできたものをとりあえず寝かせておいて、必要に応じて解凍したり組み合わせたり、新たにゲットした新鮮な素材を合わせて調理したりそうやって作品を作っていると思います。自分は注文を受けてから作り出すことが多くて、それに合わせて材料を受け取ったりすることも多いので……。」

(メガミマガジン2010年4月号より抜粋)

 創作を料理に喩えるのが非常に、らしい。冷蔵庫に溜め込むのは素材、材料だ。都築はそれをそのまま出すのではなく、調理することで創作とするのだ。デザートで生のリンゴを切って出すのではなく、リンゴを使って作ったアップルパイを出す。仕舞っていたトンカツをそのまま出すのではなく、カツ丼にする。

 都築真紀の行っていることは、自身の作品に〇〇をそのまま出してパロディやオマージュとして盛り込むことではなく、それを自身の中で普遍化して、あたりまえの具材、素材、レシピへと変換することなのだ。

 言い換えるなら、〇〇という素材の二次創作だということだ。〇〇という設定がある、キャラクターがある、物語がある。その元作品のレシピを再現するのではなく、元作品の素材を使って別のレシピ、別の料理を作る。全く同じ素材は揃えられないから、時には自分なりに再現したスープベースなんかを使いながら。

 そんなスタイルだから、都築作品の中に出てくる〇〇的なものは、〇〇そのものではないけれど〇〇を感じさせる◎◎を使って作った、〇〇の二次創作のようなものなのだ。〇〇の二次創作作品を〇〇ですね、とわざわざ指摘する人間はいない。

 都築真紀はある意味で極上の二次創作作家なのだ。素材とする設定や物語の味を活かしつつ、彼独特の視線から素材の持つ旨みを引き出す都築料理を作り出し、その世界を広げ新たな物語を生む。

 この二次創作スタイルは自身の作品にも及ぶ。『とらハ』で描かれるヒロイン同士の横の繋がり、誰とくっつくかでルート毎に微妙に変わる設定や役割は、そのルートに置ける登場人物たちを二次創作して行った結果だと言えるし、マニュアル漫画の一コマや『魔法少女リリカルなのは』なんて冗談的なネタを広げて一つの物語にしてしまうなんて、市井に溢れる二次創作の風景そのものだ。

 そして『とらハ』が作品を重ねるごとに世界の厚みを増していったのもまた、前作の中にあったキャラクターや設定、物語という素材を更に二次創作して行ったからだと言える。

 『1』の春原七瀬というキャラクターを例にとろう。

 旧校舎でしか会えない「約束が嫌い」な彼女は、実は地縛霊。その性質上、親密になった主人公、相川真一郎から望まずとも生気を吸い取ってしまう。真一郎を思う野々村小鳥の頼みを受けた綺堂さくらは、七瀬の思いを理解しつつも、真一郎、七瀬、小鳥の3名のために七瀬と戦う。しかし、真一郎が地縛霊という自分をとり殺す存在と理解してなお七瀬という女の子を受け入れたため、七瀬は自ら消滅を選ぶ。

 やがて真一郎は、日々の中で七瀬を思い出す頻度が減っていくこと、忘れていくことを残酷だと自嘲するのだが、さくらは微笑んでこう言う。



「『忘れる』って、人間の能力の中でもすごく大事なものですよ…

 四六時中気持ち、くすぶらせて、過去に捕らわれて

 『思い出しては後悔と懺悔の日々』

 そんなの、少なくとも私は嫌です

 残酷な物言いですが、七瀬先輩はそうやってあそこに自分を縛り付けてしまってた

 ……『忘れる』のが嫌なら、早く『思い出』にしてしまうといいんです

 捨てるんじゃなく、引き出しにしまって、いつでも出せるように

 だけど、いつも目に付くところにはなくなるように」

 夜の一族という長命種(所謂吸血鬼)であり、常に見送る側であるさくらは、自分は真一郎よりもずっと残酷だと、優しく微笑む。

 更に数年が経ち、それでも七瀬を思う真一郎の元に一人の幼稚園児が現れる。転生した、七瀬の姿。本編中では表記されないが、シナリオファイルには彼女の名はこう書かれている。「高町七瀬」と。

 FDミニシナリオ『五月の雪』では、この本編での七瀬消滅とは別の進行ルートが作られ、七瀬とさくらは命のやりとりをしながらも和解、七瀬にさくらが生気を提供し、さくらに真一郎が血を提供するという奇妙な食物連鎖を築くことで七瀬が存在し続けられる1の未来を描いている。

 一方で、七瀬には『2』で登場した退魔師の神咲薫とその霊剣(これも一種の幽霊)である十六夜との絡みも加えられ、薫の事を苦手としつつも、十六夜とは好みの線香の話で盛り上がる。

 『3』において、高町家が登場する。本来、『1』のEDにおいて七瀬が転生するはずだった家であるが、設定変更により、高町七瀬は高町なのはというまったく別のキャラクターとなった。しかし、そのなのはは、番外編『花咲くころに会いましょう』において七瀬と同じ地縛霊アリサ・ローウェルと出会う。そして、なのはと友達になったアリサが、『1』のさくらと同じ位置にいる久遠の話を受け、七瀬と同じ選択をし、自ら空に還るという『1』の七瀬シナリオのリフレインを見せるのだ。この光景を陰から見守るのが、成長した綺堂さくら(と、その姪の忍、神咲薫の妹の那美)であり、明確に「二度目」という台詞があることからも七瀬を意識していることは明白だ。

 また、アニメ版『魔法少女リリカルなのは』にはアリサ・バニングスという、アリサ・ローウェルにそっくりなキャラクターがなのはの友人、クラスメイトとして登場している。『とらハ』において七瀬がなのはに変わったことも連想させる幸せな改変、心憎い二次創作ではないだろうか。

 そしてDVDオマケシナリオ『ナツノカケラ』。実質、七瀬がメインとなるシナリオである(イベントCG数も最多)。

 真一郎たちが3年の夏休みの出来事であり、別荘へ避暑に行く話だが、ここに七瀬が加わる。

 来年の春には七瀬の取り憑いていた旧校舎が取り壊される(その後、『3』で実現している海鳴中央の合併が行われる)。だから、真一郎たちと一緒に卒業したいと言っていた七瀬だが、それはそのまま消滅する、という意味でもあり、『五月の雪』でも明言されていた七瀬という存在の終りについての物語だ。七瀬は真一郎や皆には内緒で消えようとしていたが、さくらは薄々気づいており、だから七瀬を別荘に誘うのだ。

 自縛している彼女の移動を可能にするのは、『五月の雪』で嫌いだと、救われたくないと言っていた『2』の神崎薫の手になる移動用位牌(これに辿り着くまでの友人関係の連鎖の描写が素晴らしい)のお陰だったり、喫茶店翠屋でその位牌を出して打ち合わせをしていたところ、店のマスターであるなのはの母、高町桃子(声のみ)がそれに気づいて、一人分の水とおしぼりを位牌の前に追加、思わず七瀬が言った御礼を聴いてしまった桃子が???となるなど、細かい繋がりの描写が光る、七瀬の最後の夏を描いた物語なのだ。



【七瀬】

「生まれ変わりなんてことが、ホントにあるのかどうかは、わかんないけど…」

 ………心残りなく消えたら…きっと、生まれ変わっても

 ……そのことに気づかないだろうね

 別の人として…新しい人生を生きるんだろうと思う

 だから、あたしは『春原七瀬』として……

 覚えておくために……最後まで、覚えておけるように

 …………最後までちゃんと…………この世界を、

 見つめていきたいんだ」

 『1』のEDのこと、高町七瀬と高町なのはのこと。シリーズを通して、春原七瀬という必ず別れる存在について積み重ねられてきたもの。

 七瀬は笑っていて欲しいから、と自分の消滅を真一郎に隠そうとし、それに気づく真一郎は気づかない振りを続ける。けれど、地元の悪霊との事件があって。七瀬はそれを隠せなくなって、真一郎もわかって、「ちゃんと最後まで、笑ってるから」と答える。これは、『1』の七瀬ルートの別れの際の選択肢の一つでもある。

 その言葉を受けた七瀬は言う。



【七瀬】

「あたしが、最初で最後の約束をしたい、って言ったら…きいてくれる?」



「………卒業したらさ………

 ………………時々でいいんだ……ほんとに時々で

 ……たとえば、懐かしい友達が集まったとき……

 …………たとえば、一人でこんな月を見上げた時………

 …たとえば……一人ぼっちで、淋しいなって思ったとき……

 ………少しでいいんだ………

 …………あたしのこと…………思い出して………?

 ……こんな友達がいたな、って………

 …楽しかった時のこと……あたしが居た時のこと

 …………少しだけ………思い出して……?」

 笑ってると言った真一郎は泣きながら、それを約束する。

 そしててそれは、別シナリオで果たされている姿を確認できる。『ナツノカケラ』から数年後の『お正月だよ全員集合』の一コマ。大食い大会終了後に、「そろそろおなかすいた」という化物どもに一同がツッコミを入れ、さくらや小鳥が目眩を覚える中、ポツリと呟くのだ。



【真一郎】

「……七瀬……こいつらはホントに、相変わらずだよ」

 また、別荘は『3』のヒロイン忍のものであり、また現地にいた悪霊退治の絡みで幼い那美も登場するという、『花咲くころに会いましょう』でなのはとアリサを見守った二人も七瀬と面識があったことが本シナリオでは追加されている。

 『1』で終わったはずの春原七瀬を、都築真紀はここまで使い込んでいる。この設定なら、このシチュエーションなら、本編で描かれてないこの時代の彼女は…。作者の手になる二次創作。アニメ版のなのはやアリサも含めるなら、それはまだ続く。

 新作で時間が遡り、或いは進み、前作の登場人物たちの過去や未来が付け加えられる。新作のキャラクターと旧作のキャラクターの絡みがそれぞれの意外な一面を見せる。彼らの足跡が後の世代の別のキャラクターのエピソードに繋がる。登場人物が増え、彼らの居場所が描かれ、舞台の海鳴という町そのものが広がっていく。皆は少しずつ成長し、いつしか退場し、世界は年輪を刻む。継ぎ足され、熟成されていく秘伝のタレのように、味わいを深めながら。

 そしてそれは、都築真紀、そしてその作品を受取る我々の中で普遍的な日常、あたりまえの光景へと変わっていくのだ。



 『とらいあんぐるハート』は、『ToHeart』という大ヒット作品のレシピ・素材を参考にして作られた。しかし目指したのは味の再現ではなく、感じた疑問や不満への回答が盛り込まれていた。そもそも漫画で物語ってきた都築だから、畑違いのゲームという表現技法での調理に意外性が生まれ、出来上がった味は『ToHeart』とは似て非なるものであったが、それ故にその味のファンが生まれた。

 『とらハ』は『とらハ』としての道を進み、様々な素材を加えて出汁をとり、熟成させたスープベースを継ぎ足し継ぎ足ししてきた。レシピ自体は時に大胆に具を削ぎ落とし、がらっと変更し、ゲームと言う調理法自体への試行錯誤を続け、そして完成した。多分、超一級の家庭料理として。

 アニメ『魔法少女リリカルなのは』はその家庭料理のエッセンスを持って作られた(多分、火力重視の中華料理)。漫画ともゲームとも違う、アニメというスタイルで新たな都築味を届けてくれている。そしてこの作品は『とらハ』において、なのはが家族から離れて新たな関係性を始め、友達を作り始めたのと同じような意味で、『とらハ』から離れていった作品なのだと思う。

 都築真紀は魔法使いではない。0から何かを作り出すクリエイターというのとは、少し違う。近いのは料理人で、お袋の味だとか、秘伝だとか、よそで食べた美味しい物とか、そういった物の味を記憶して、受け継いで、使われていた素材や似た素材を集めて、悲しいことも嫌なことも含めて冷蔵庫に仕舞って熟成して、或いは自分のスープベースにコトコト煮込んでおいて、必要に応じてそれらを組み合わせて作品を作る。

 本当の意味で見たこともないような圧倒的な何かが作り出されることは多分なくて、でも受け継いだもの、自分で集めたものを出している自覚があるのだから、自分が作っているものがオリジナルであるかどうかなんて迷いはきっと、ない。

 都築真紀は、きっと、クリエイター(創造者)というより、サクセサー(継承者)と言った方が、正しい。

 そういった、何かを受け継いでいく、続けて行くという彼のスタイルは、人間の営みそのものにも近くて、そういったモノを描く、彼の紡ぐ物語そのものとも相性がいいのだと思う。

 そしてそれはきっと彼にとって、あたりまえの事なのだ。


●三角形の中心

 最後に、製作者には内緒にされている、『とらいあんぐるハート』の「とらいあんぐる」、三角形とは何なのかというのを戯れに考えてみたい。

 一応、『1』の時点では幼馴染の唯子と小鳥が初期状態から真一郎と三角関係という状態ではあるし、『2』、『3』も内容やパッケージ等からそういう男女間の三角関係を見出すことも出来なくはない。が、決して三角関係が物語のメインにはなってこないから、この「三角形とはなにか」という命題が生まれるのだ。男女間の問題ではない。

 まぁ、DVDおまけシナリオの1には、『ナツノカケラ』の他、『マナツノユメ』というさらなるオマケがあり、夢オチなのだが、三角関係の唯子、小鳥、真一郎がカップルにはならず3人で生きていく結末を描いているのだが(当然Hは3Pである。なお、真一郎の声優は春野日和であり、女顔設定とあいまってほぼ男の娘であるというのは余談。かつて手がけた『再会』に男キャラ攻略ルートとHシーンがあるのは更に余談)。

 そのDVDおまけシナリオでHシーンがあるのは、小鳥と唯子の他、七瀬、さくらである。

 この3組のヒロインには象徴的な違いがある。現在を共に生きる一般人、いずれ喪われる幽霊、いずれ自分が先に死ぬ長命種。現在、過去、未来だ。

 七瀬やさくらが何度もフィーチャーされてきたことを鑑みるに、この方向性で考えるのはアリだろう。

 けれど、自分は違う三角形を推したい。



 Amore、Cantare、Mangiare!



 旅行ガイドなどで見る、イタリアを形容する3つの言葉。



 愛すること、食べること、歌うこと。



 人生を楽しむための3つであり、『とらハ』の1、2、3にも綺麗に符号する。

 長々と書いてきたけれど、結論は最初に言った通り。

 『とらハ』ってのは、そこに描かれた人生を楽しむものだ。

 最近はDL販売もされてるし、持ってない人はすぐに『1』から買い求めて、持ってる人は今すぐにゲームを綺堂して。そんでもって萌え転がったり、燃え転がったり、ほのぼのしたりすればいいと思うよ。

 ん? ああ、誤字じゃないから。『とらハ』は、都築さんとこのそれは「綺堂」で合ってるんだ。『とらハ3』の解説のとこも、わざとです。