うろ覚えだから細部は間違っていると思う

観鈴「私、頑張ったよね。もうゴールしていいよね。」
晴子「あかん観鈴。来たらあかん。ゴールしたらあかん。はじまったばっかりやんか。昨日やっとスタートきれたんやないか」

AIR

ゲンドウ:おまえが死ぬぞ!
シンジ:いいよ、人を殺すよりはいい!
ゲンドウ:構わん。パイロットと初号機のシンクロ率を全面カットだ!
マヤ:カットですか?
ゲンドウ:そうだ。回路をダミープラグに切り替えろ!

七瀬「私は、誰にも救われたくなんか、ないから」

とらいあんぐるハート ラブラブおもちゃ箱』

僕は飛空船を手に入れることで兄を手に入れたと錯覚したかったのかもしれない。

ヴェーンから出ていきたかったのは僕の方だ。兄さんじゃない。

船戸明里『ヴェーン飛行船物語』

「猫だった時に会いたかなったな」
「猫だった時って、お前…」

こがわみさき『でんせつの乙女』

「よかったことまで、否定しないで」





「ゴールしていいよね」って言う観鈴に、よくやったね、頑張ったね、もうゴールしていいよ、ゆっくり休んでいいよ、なんて、そんなの言えない。言わない。そんな救いを与えるような晴子だったら許さない。
円環の理なんざクソ食らえだ。
そんな救済なんかいらない。泥に塗れても人を殺してでも生きていて欲しい。
救われたくないのは僕だけで、当人は救われたかったのだとしても。
辛くても、苦しくても、生きたいと願ったそれを否定して欲しくなかったよ。
よかったと思ったそのことを否定するようなことをして欲しくなかったよ。





「彼女を否定できますか?
 ラトーナの結末は自分が選び損ねた未来のひとつだ
 どんな形にせよ
 彼女もまたヴェーンの史実に己の存在を残した
 歪んだ愛情で自ら過去になることを選んだ
 プライドに負けた愚かな女だ
 それでも
 私にはいい女だった」

船戸明里『ヴェーン飛行船物語』





否定出来ないから、くるしいよ




昨日まで大好きだった作品が、個人的な思想心情の問題でクソ作品に変わりつつある。アンチというのはこういう風に生まれるものなのだろうか。恐ろしいのは作品自体は何も変わっていないということだ。ある一つの見方を提示されただけで色がまるで違って見える。人とは、自分とはこうも容易いものか。簡単に影響を受けるものか。

死が救いでなどあってたまるものか 。

有馬さんが少し前に虚淵さんの死生観は受け入れられないと言っていたけれど、今ならそれがよくわかる(多分、受け入れられないということに同意を覚えただけで、考えていること自体は理解できていないし違うと思うけれど)。
僕は全身全霊をもって、鹿目まどかを、その救済を否定しなくてはならない。
死を否定する暁美ほむら
生を肯定する巴マミ
この二者を否定し、狂わせた救済を。