どうして君は泣いていたの? 『叛逆』のさやかの話

「君は泣いていたの?」と言えば『メダロット・ナビ』であり、「どうして君が泣くの?」だと『人形師の夜』1巻の「99の嘘」なんですが、まぁ、あれだ、「あたしは、誰にも……救われたくなんか、ないから」っていう『とらハ』の春原七瀬とか、『EVANGELION: Remembrance』の「ちくしょう…」みたいなものだと思います(わけがわからないよ)。
以下、『叛逆』ネタバレ。











誰の話かっていうと、美樹さやかの話なのですが。
ラスト、ほむらによる世界の再改編で、現実世界に人間(魔法少女)としてもう一度生きることを許されたさやかちゃんが、なんでほむらに怒って、そして仁美と恭介に背を向けて泣くのかっていうお話ですね。

ほむらに怒るのは正義感からなのか、まどかの想いを踏みにじったことなのか、円環の理の一部という大きなものの一部であったことから引き摺り下ろされたからなのか。

ここら辺、メタ的に見ると、記憶のないまどかの代わりに怒っているともとれますし(役割としてまどかの記憶を持ってましたし)、ほむらの行いに対する視聴者の感情の受け入れ先としての怒りと涙ととることもできます。「なんてことしやがる、でも戻ってきたこと自体は嬉しい。ちくしょう…」みたいな。<メタ的に見なくても、さやかの感情的な動きはこういう感じだと思いますが

なんていうかね、「神さま わたしは救われたくなんかなかった」(『ハチクロ』)というかね。いやさやかを救ったのは神さまではなく悪魔だったわけですが。

というかですね、さやかが「これでいいよ」という結論に辿り着くまでにどれ程の葛藤と時間をかけたのか。円環の鞄持ちとして生きて(?)行くことにどれだけの想いがあったのか。
今回、ほむらの魔女結界の中で恭介や仁美、杏子やマミさんやほむらと再会し、かつてのようにまどかとかつてのような生活を送れたたことにどれだけの想いがあったのか。
何もかも忘れて家族ともう一度過ごすまどかをどういう思いで見つめていたのか(これ、さやかの方はあの結界世界では家族と再会できていないだろうことを考えるとより…)、まどかや自分にかつての生活をもう一度味あわせてくれ、杏子への心残りまで果たさせてくれたほむらに、どれだけの想いがあったのか(これを踏まえると、ほむらに「この世界の何が悪いの?」「よく考えて」「後悔のないように」等と問うさやかというのがもうさ…)。

そして、もう一度杏子に別れを告げた時、最後の共闘を行った時にどれだけの想いと覚悟があったのか。

そんなさやかの想いや覚悟を、全部踏みにじってほむらはさやかを現世に戻したんです。

ある意味まどかにしたよりもよっぽど酷いんですよ、これ。結界世界ではまどかは全部忘れてられたわけだから。その分を全部さやかが背負ってる。

で、表面的には今回のほむらのしたことで誰も不幸になってはいないっていう。
諦めたはずの人としての幸せを強引に与えられて、まどかもさやかも救済されているとさえ言える。
さやかが結界世界でほむらに問うた「この世界の何が悪いの?」は、今度はそのまま、さやかに問われることになる。

マジュウ世界でたった一人まどかのことを覚えていたほむらと、ほむらが悪魔だと恐らくはたった一人覚えているさやかは相似です。
それを分かってて言っているからこそ、さやかに

「仲良くしましょうね」

というほむらの言葉は悪魔的なのです。
さやかはほむらを悪魔だと言い、ほむらもまた悪魔だと自認する。
ほむらの選択を否定できるのか、否定したとして、ほむらのように再度世界を書き換えることができるのか。
それは本来、まどかに与えられるべきものであるとすら言えます。
さやかに突き付けられたものは、余りにも大きい。

彼女のほむらへの怒り、そして流した涙に込められているものの深さは、想像もつきません。










……もうね、考えれば考えるほどさやかに生活や人生の影響を与えられるレベルで拗らせている人(特に名は伏すけど亀田さんとか)はとっとと『叛逆』見るべきだと思うね。あの無理やりなほむらの行いに救済される人もいると思うし(亀田さんに関しては、あの人だけは救われないと思うけど)、あのさやか(とほむら)を真に理解してあげられるのはそういう亀田さんとかだけだと思うから(俺は無理)。一緒に怒って泣いてやれよ。