『とらハ』から『なのは』へ 〜都築真紀、萌えから燃えへの軌跡〜 前編

 2010年初頭。銀幕に「原作・脚本 都築真紀」という文字が大きくクレジットされていた。

 2004年に放映開始されたTVアニメ作品『魔法少女リリカルなのは』(以下『なのは』)シリーズの劇場版、『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』のエンドロールである。

 TVから6年の歳月を経ての映画化に、アニメ『リリカルなのは』のファンたちが酔いしれていた。

 そして同時にそこには、さらに6年を加えた12年という時を噛みしめる者たちも存在していた。

 『とらいあんぐるハート


 『なのは』の元となったPC美少女ゲーム、通称『とらハ』のファンであった者達である。

 都築真紀は現在はアニメの原作・脚本として活躍しているが、数年に渡ってPCゲーム『とらいあんぐるハート』シリーズのメインシナリオとキャラクターデザインを担当し、美少女ゲーム業界の一時代を駆け抜けた人物でもある。

 本稿は、その『とらいあんぐるハート』シリーズを追いつつ、美少女ゲームライターとしての都築真紀について綴る文章だ。

 しかし、まず結論から言っておく。

 都築真紀の『とらいあんぐるハート』とは、語るための作品ではなく、楽しむための作品である。

 我らの口は幸せを語るためではなく、ただ噛みしめるためにのみ存在する――。誰かも言っていたが、こんな文章を読む暇があったら、一刻も早く『とらハ』をプレイし、世界で一番平和な場所である海鳴、風芽丘に赴き、そこで語られる優しい人達の物語を噛みしめるべきだ。都築真紀も評論家は嫌いだと言っていたし、俺もこんなもの書くよりさざなみ寮に帰りたい。幸せはそこにある。

 だが、もしも美少女ゲームというジャンルそのもの、その歴史における『とらハ』と都築真紀という存在について考えてみたいならば以下の文章を読み進めてみるのもいいだろう。拙いが、リアルタイムでシリーズに付き合った1ファンの手になる『とらハ』総論である。何かの参考くらいにはなるだろう。


都築真紀の経歴について

 都築真紀が創作に関わるききっかけは、小学校で友人(漫画家の馬波平)の勧めから漫画クラブに所属したことである。この時は漫画はひとつも描かなかったが、漫画を描く友人がクラスで人気者となる姿が後に影響を与える。

 中学時代は演劇部に所属し、自分以外は全て女性部員という環境下、役者兼「演劇台本作家」として創作活動を開始した。しかし自作の小説等はクラスでは読んでもらえず、小学校時代の友人の事を思い出し漫画への意識が芽生える。同時期に漫画好きの部の先輩に影響を受けたこともあり、絵を描き始めている。同人誌即売会にも足を運び、『聖闘士星矢』のやおい同人誌を50冊程買い漁り、ラブコメについて学んだ。

 高校では美術部に籍を置く。油絵を描きながら同人誌も出すという部活で、本格的にペンを使い始めたのもこの部活動からになる。気に入った同人誌を見ながらペン入れを行なっていた。しかし部活動で絵の技術を学ぶ毎日というわけでもなく、それよりも種々のアルバイトに精を出す。特にラーメン屋でのバイトは5年にも渡り、新メニューの提案や金銭管理等も行っていたという。一方で、友人の人脈から現在とは別の名義で商業漫画家としてのデビューも果たす。そういった生活から高校は2年で中退、専門学校へと入学する。専門学校時代は友人と共に創作系で同人活動を開始し、当初は漫画原作を行っていたが、後にアダルトや二次創作系で自分で作画を行うようになった。

 この同人活動中にゲーム会社にスカウトされて18禁美少女ゲーム『再会 〜卒業旅行’98〜』(SAINT)の原画を担当する。その縁で、1998年の『とらいあんぐるハート』(JANIS/ivory)で企画補助・原画・メインシナリオをこなすこととなり、本格的にゲーム制作の道に入る。


●『とらいあんぐるハート

 『とらいあんぐるハート』(以下、『とらハ』)には、そもそもivoryから戴いた前身となる企画が存在する。その元企画に都築が意見出しを行い、様々な改変が加えられた結果、元企画とは別物として独立したタイトルがこの作品だ。都築の肩書きが企画補助となっているのはそれに由来すると思われる。

 最終的に前身企画から残ったのは「三角関係が軸」という要素のみであり、『とらハ1』は実質上、都築真紀のオリジナルの企画となっているが、前身企画からそうだったのか、都築がそうしたのか、前年に大ヒットした『ToHeart』(Leaf/Aquaplus)を意識して立ち上げた形跡が多分に伺われる。

 『とらいあんぐるハート』というタイトル自体が『ToHeart』を想起させるものであるし(イニシャルにしても同じTH)、マップ移動型というゲームシステムで(マップ上にそこにいるキャラクターを最初から表示するのはPS版『ToHeart』とも同じである)、移動箇所がほぼ学校内に限定され、移動時間も休み時間や放課後という、ほぼ同様の移動選択パートを持つ学園恋愛モノであるという共通点がある。テキストの表示形式こそ『ToHeart』のビジュアルノベル型ではないが、形式的には明らかに『とらいあんぐるハート』は当時少なくなかった『ToHeart』のフォロワー作品の一つだ。

 しかし『とらハ』は基本的なゲームの流れこそ『ToHeart』をトレースしているが、同時にトレース先のそこかしこに『ToHeart』や他のフォロワー作品との差異を抱えていた。


●『とらいあんぐるハート』の特徴

 ・主人公の顔グラフィックが描かれている

 ・非人間等、特異な設定のキャラクターと、設定を活かす個別ストーリーが存在(忍者や殺し屋という設定を持ったヒロインのルートでは実際に人の生き死にが発生する等)

 ・ヒロインと恋人となった後もゲームが展開し、1ルートに同一ヒロインとの複数回のHシーンが存在する

 ・恋人となるヒロインが確定し個別ルートに入った後も、他のヒロインが登場し話に絡む。また、主人公以外のパートナーを得る別の可能性が示唆されたり、具体的に描かれたりする

 ・エピローグでは主人公とヒロインの結婚や出産、その際の別ヒロインの将来等、具体的な未来が描かれる

 これらは都築真紀が当時プレイした他の美少女ゲームに関する疑問や不満を自分なりに解消しようと、自分ならこうするというアイディアを盛り込んだ結果である。

・主人公の顔グラフィックが描かれている

 現在でも美少女ゲームの主人公の顔はグラフィックとして描写されることが少なく、されても上部が長い前髪の影で覆われ目が描かれないことが多い。これはヒロインに音声がつけられても主人公にはつかないのと同様、ヒロインと恋愛している主人公へのプレイヤーの感情移入・自己投影を助けるための無個性化が目的だと思われるが、この無個性化は物語の多様性に制限をかけてもいる。

 都築は、こういった必要からの無個性化もあって類型化していた当時の美少女ゲーム主人公像へのアンチテーゼとして、また自分の考える「登場する女の子たちが本当に『好き』になれる主人公」を目指して、敢えて主人公に相川真一郎という固定の名をつけ、低身長、少女と見紛う童顔美形、空手経験あり、ヒロインである幼馴染二人との人間関係…といったパーソナルを与え、立ち絵CGこそ無いものの、一部のイベントCGにおいて目のはっきりと書かれた顔を描いた。

 この主人公の描写はゲームにおける主人公=プレイヤーの分身という観念からの脱却であり、第三者視点から主人公というキャラクターを見ること、主人公=プレイヤー不在の物語の描写へとも繋がっていた。

 主人公というカメラを通して一人称で物語を語る一般的なゲームのスタイルの中で、他作品ではシステムによる主人公・操作キャラの切り替えを明示したり(『EVE』シリーズのマルチサイト等)、エピローグ等本編から外れた場所で例外的に行っていることを明示し(『Fate/stay night』のinterlude等)、飽くまで特別であるとしていた、「主人公以外の視点で物語や世界を語る一人称」が、『とらハ』では本編中にごく自然に挿入されていた(七瀬ルート終盤の一部など。物語の進行がルートのヒロインである七瀬とは別ヒロインの小鳥やさくらの視点で語られ、小鳥の立場で選択肢を選ぶ場面もある)。

 この、それまでのゲームの文法に囚われない視点切り替えは、演劇や漫画といった他ジャンルに関わってきた都築ならではのことであろう。以後の作品でも進化・洗練されていく。

・特異な設定のキャラクター

 特異なキャラクター設定を持つヒロインたちは、『ToHeart』のヒロインにメイドロボや超能力者が存在したことの延長線上にあるが、後発とあってより先鋭化していた。一般的な現代劇の学園恋愛ゲームとしてのパッケージでありながら、いきなり2Fの窓にロープが掛けられ忍者が登校してくる、ベッドインした翌朝の少女に獣耳と尻尾が生えていて人間外の種族であることが発覚するなど、当時、一般的な学園恋愛ゲームを想定して遊び始めたプレイヤーの度肝を抜き、大きなインパクトを残している。

 また、『ToHeart』などの学園物の登場人物が、当たり前だが皆、同じ制服で外見的にあまり差がなかった事への反動でもあるのだろう、設定上「女子の制服は28種の組み合わせから自由に選べる」ものとされ、同じ学校、同学年のキャラクターでも違う制服を着ており、見た目からして各キャラクターの個性が際立つものとなっている。その他、私服や部活動時の服装など、同一人物の服装パターンも豊富。立ち絵CGについては、身長差が大きく分かりやすく描かれているのも特徴で、長身の唯子と小柄な小鳥では実寸で頭ひとつ分の差が描かれている。

 こういったキャラクター設定や描写は単なる掴みで終わらず、忍者のいる日常(忍者は国家資格である)、人外の物のいる世界、身長差のコンプレックス等が物語上で描かれ、その中でどのような問題が発生し、それに主人公たちがどう向き合っていくのかというのがそれぞれのキャラのルートの物語ともなっている。

 特に剣を持った戦闘者や人外の物が普通に存在するという、どこか我々の住む世界とは違った日常風景が「とらハ世界」とでも言うべきものを構築している。

 一方でそういった個性的すぎるヒロインに対して、主人公・真一郎は飽くまで一般の学生に過ぎず、空手経験があるにしても暗殺者や人外の存在と渡り合うことは不可能で、『ToHeart』の格闘少女、葵の物語でも見られた「ヒロインが戦う姿を見守るだけ」という、物語の主体足りえない主人公という違和感をルートによっては見せる。これは、特異なヒロインが主体となったときの物語の主人公の立ち位置というものを、改めてプレイヤーや都築自身にも意識させる結果となったと思われる。

 そんな中、今作で主人公の存在意義の一つの回答として描かれたのは料理である。主人公はヒロイン達に料理を振る舞い、言わば餌付けすることで親密度を高めて行く。これは非戦闘系のヒロインと戦闘系ヒロインの間柄でも同様で、主人公を始め一般人たちは、料理という日常的な特技を披露することで、非日常を生きる特殊なヒロインたちと対比される存在として描かれているのだ。

 一例を示すと、暗殺者ヒロインのルートでは、日常の象徴として一般人の主人公と一般人の別ヒロインがセットで描かれ、EDでは主人公達の元から姿を消した暗殺者の彼女が、主人公と別ヒロインのカップルを眺める場面が存在している。

 アニメーション作品では日常感を出すために風呂と食事シーンを用いる技法があり、作画枚数を抑えるためにシャワーシーンが増えたという事情があるが、本作は美少女ゲームであるのでそのようなサービスシーンは元々多い(後述するが、Hシーンも多く、それも日常感を感じさせる)。その上で、料理、食事のシーンが頻出しており、突飛な非日常設定に負けることなく、日常感もとても強い。

・ヒロインとの複数回のH

 当時の美少女ゲームでは、多くの場合ヒロインとHするのがゲームの最終目標と言ってよく、端的にいってヒロインを「攻略する」ための過程をADVやSLGと言ったゲームパートとして遊び、結果として「落とす=Hする」というスタイルが多かった。その為、一部の陵辱ゲームや調教ゲームなどを除いては、Hシーンもクリアのご褒美の一回(とバッドルートでの陵辱シーン等)のみであり、恋人となり心と身体が結ばれた後の展開というのがゲームで描かれることも殆どなかった。

 都築は恋愛を扱ったゲームの物語の多くがそういったように「恋愛が成就するまで」で終わることに疑問と不満があったと発言しており、『とらハ』では恋人状態になってから揺れ動く2人の想いを描き、恋人になる前と、なった後を描く2部的な物語構成としている。

 恋人同士となった後の描写は、心理面の描写の他、H面での充実ぶりも見せることとなる。初めは上手く出来なかったセックスが徐々に上達していく様、混浴の入浴シーン、互いの都合で口淫にせざるを得ない状況、マンネリを打破するための羞恥強調等の特殊プレイ、果ては人外ヒロインの発情期にまで及ぶこのHシチュエーションの充実は、エロを求める多くのユーザーに歓迎された。

 この18禁作品だからこそ描ける恋人同士のHを含んだ日常とエロは大きな個性となり、らぶらぶいちゃいちゃな日常に「萌え」転がるプレイヤーも続出。ゲームデータの拡張子が「.moe」だったこともあって、一部では「最強の萌えゲー」とまで呼ばれた。

・二人きりではないセカイ

 また、美少女ゲームは複数ヒロインが登場する場合はヒロイン毎にライターの分業作業となる場合も多く、ルート確定後の個別ルートでライターの担当外のキャラクターの描写が極端に減ることが少なくない。本来友人同士のはずのヒロイン達の描写がなくなり、主人公と攻略ヒロイン、一対一の物語となることが多かった。これにも都築は疑問を覚え、『とらハ』ではルート確定後も攻略ヒロインとは別のヒロインを物語に登場、参加させている。三角関係の片方を攻略し恋人となっても3人の交流は続き、攻略途中で仲良くなった主人公とヒロインやヒロイン同士はその関係や経過を持ったままで他ヒロインの物語に参加し、それぞれの立場で役割を果たし、物語から完全にフェードアウトしてしまうようなことはない。

 また、この際、選ばれたヒロインと選ばれなかったヒロイン達の間には、主人公に好意を持つ者同士として、人間関係が拗れる可能性もあるのだが、選ばれなかったヒロイン達はそれぞれ心に決着をつけ、或いは嘘をつき、別の道を歩いていくことで皆の日常は変化しつつも維持されて行く(さくらルートの唯子など、一部ルートでは、攻略外の選ばれなかったヒロイン達の秘めた想いなどが描写される)。

 これ等、キャラクターの横の繋がりによって構成される友人関係は、大きな仲間意識、身内感覚を生んだ。この「人の繋がり」が醸し出す心地よい空気は「とらハ」の特徴として認知され、後のシリーズで描かれる擬似家族的なコミュニティへと繋がっていく。

 一方でこの大きな身内感覚は、身内外の存在というものも意識させるものであり、都築は、人類というコミュニティから外れた非人間のヒロインたちや、隠しキャラであるそもそも「生物」という括りですらないキャラクター、幽霊の春原七瀬といった存在を通して、身内に対する「外」を描いている。

 特に、一度誰かのルートをクリアしないと現れない、所謂隠しキャラである七瀬は、その気がなくとも結果的に親密になった主人公の生気を吸い取る地縛霊で、幼馴染のヒロインや友人たち身内から、明確に主人公を奪い去る外の存在として配置される。


【真一郎】

「こら、小鳥…」

「犯すぞそーゆーことしてると!」

【小鳥】

「………行かないでくれるなら…」

「それでもいいから…」

 七瀬に惹かれる主人公に対し、仮病を使い、最終的には体を使ってでも七瀬の元から引き剥がそうとする幼馴染の小鳥の姿は、外部に主人公を持っていかれるコミュニティ内部の存在として象徴的だ。主人公は小鳥を拒絶するが(選択肢には「ひっぱたく」、というものまで存在する)、その時間稼ぎの間に、彼女から相談を受けた友人「夜の一族」さくらが小鳥や主人公の為にと七瀬と相対する。

 このイベントは本作品のクライマックスの一つであるが、主人公や小鳥との交流を通して身内になった、そもそもは「外」の人物だったさくらが、身内になれない七瀬を排除するべく動く様はとても興味深い(また、主人公を残して消えゆく存在である七瀬に対して、さくらは長命種の、いつまでも残る側という好対照もある)。

 最終的に七瀬は身を引き消えることを選ぶのだが、エピローグでは地縛霊がどうの夜の一族がどうのという設定上のやり取りとは関係なく、好きだった女の子との現実的な別れ(七瀬自身の口を借りれば、旅行先の行きずりの恋の終焉)、彼女のいないそれからの時間、身内である小鳥やさくらの主人公を思う気持ちというのが丁寧に描かれている。

 また、小鳥たちとの続いていく日常(ここでも象徴的に料理のエピソードが語られている)。さくらの言う「忘れる」大切さ、忘れるのが嫌なら「思い出」にすればいいという言葉。これらは、都築がこの後も繰り返し描いていくテーマの集約でもある。

 グッドEDでは七瀬が幼稚園児に転生した姿が描かれるのだが、以降のシリーズではIF設定として、さくらと命のやり取りを経た後の七瀬が地縛霊のまま存在しており、「外」の存在、いずれ消えゆく存在として、彼女についてはさらに掘り下げられていくこととなる。

 しかし、このように意識して描かれる身内や身内外の「ヒロイン」達に対し、それ以外のキャラクターや設定の部分では、忍者シナリオでの敵対組織など、単純な外敵、記号化された悪としか描かれていないという描写の弱さも散見される。

・EDやエピローグで描かれる未来

 各ヒロインのエピローグは未来へ広がり、ゲーム内の出来事が彼らの人生、世界のごく一部分に過ぎなかった事を示すと同時に、どれだけ重要な時間であったのかを語る。本編内でただ一度性交渉をし別れたヒロインが母となっているその後。自分や友人たちそれぞれのその後。そこには結婚や出産、就職という具体的な未来が描かれている。中には主人公の老後まで描いたものもあり、恋愛成就後の1コマといった描写が多い他作品とは、一風変わった印象である。

 これは先述の人同士の繋がり、大きな身内感の拡大にも繋がっており、実際の生活の中、成長する中で知り合いや家族親戚が増えて行き人脈・世界が広がっていく感覚や、長期のホームドラマなどに感じられる同様の拡がりとも近い。

 この、環境と共に変化しながら全編通して維持される、全登場人物によって構成される日常、続き連鎖拡大していく人間関係や空気は『とらハ』シリーズを通しての大きな個性となっていく。

 一方でバッドルートでは主人公やヒロインが死亡するもの、陵辱されるものなども描かれており、グッドルートでも別れが示唆されているものや悲しい別れをした主人公のその後があり、決してご都合主義的に全てがめでたし、めでたし、とはならない。ただ、グッドルートでは共通して、登場人物たちが主観的にはみんな幸せになっている、或いは幸せになっていくと示されることで、ゲーム全体としては非常に後味が良いものとなっている。



 これらの要素が『とらハ』の個性としてユーザーに受け入れられ、単なる『ToHeart』フォロワーに留まらず、固有の人気を得てシリーズ化し(発売1週間後に都築に好評の連絡と2の作成が伝えられた)、独自の路線を歩んでいくこととなる。


●『とらいあんぐるハート2 さざなみ女子寮』

 1999年。シリーズ2作目、『とらいあんぐるハート2 さざなみ女子寮』(以下、『とらハ2』)が発売される。

 世界観は前作と同一のもので、その一年前となる同じ町での物語だが、学園恋愛ゲームだった1作目からは変わり舞台を女子寮に移す。この舞台変更には、当時、同じように女子寮を舞台とした赤松健のラブコメ漫画『ラブひな』が人気であった影響も感じられる。前作が『ToHeart』フォロワーだったことを鑑みるに市場調査の結果かと思われるが、主人公は『ラブひな』が未成年の浪人生であったのに対し、こちらは成年の社会人であり、受ける印象は異なる。

 前作での、恋人となる前と後という実質的な2部構成の好評を受けて、正式に3部構成を採用。基本的には寮の管理人としてヒロイン達に受け入れられるまでが1部、受け入れられた後で恋人を得るまでが2部、恋人を得た後が3部で、ゲーム内時間で1年に及ぶ長いスパンのゲームとなった。

 登場人物同士の横の関係やそれによって作られる空気、人の繋がりの描写も健在で、スパンの長さで重ねられた日常描写の増加はそのまま世界の厚みを増した。重ねられる日常の舞台に「さざなみ女子寮」という具体的な場所が与えられたことも大きく、名前の無かった身内感覚は、寮という擬似的な家庭と家族を得て、擬似家族感覚と言っていいだろう強固さを見せるようになる。これにより「内」と「外」の違いもよりはっきりとし、3部構成は、1部が外部から来た主人公が受け入れるまでの話、2部が受け入れられた後の話、3部は完全に内側となった主人公がヒロインを外へ送り出したり、外からの新しいヒロインを他のヒロイン達とともに受け入れる話となっている。

 特に3部で新登場するヒロイン、リスティはさざなみ寮という擬似家族を当初完全に拒絶しており、その設定(研究材料として人工授精で生み出された命)とともに、人と人の繋がりという、とらハが描いてきたものを否定するキャラクターであり、構成的には、彼女とその物語を描くことで相対的に内と外を再確認することでこの作品は締め括られている。

 リスティルートでは、これまで日常の象徴として機能し主人公とヒロインを結びつけてきた料理についても、その人間関係構築への機能自体に言及した上で、自分は他のヒロインとは違う、「…こんなことをしても、なつかないよ」と通用しない。彼女を攻略し、さざなみ寮の住人へと引き込むこの3部の流れは、第1部において当初は寮の住人に拒絶されていた主人公と見事に好対照である。

 そして、そんな風にリスティにあしらわれ、拒絶された上でもなお「頭に来た、絶対に仲良くなってやる」とプレイヤーが選ぶのならば、主人公は料理を作り続け、最終的にリスティはその日常化した温かい食事とそれまでの日常だった冷たい食事の違いに気づき、涙を流すのである。


「……病院の食事は…」

「こうじゃなかった…」

 この、拒絶されても出し続けた料理がリスティの心を開く決め手となるエピソードこそが『とらハ2』の基本であり、根幹であると都築は語っている。毎日誰かのために作られる温かい料理。それが食卓に並ぶ日常は、長いゲーム期間で繰り返し繰り返し描かれる。

 そんな繰り返される日常の中で語られる(後に登場もする)先代の管理人達や、エピローグや後の作品で見られる『とらハ2』本編のその後の入居者たちの存在は、変わっていくものと変わらないものを示し、さざなみ寮という空間は歴史すら感じさせる。更に前作と同じ時間・舞台も重なっていることから、前作の主人公やヒロインたちも登場し、相乗して『とらハ』の世界そのものが大きく広がった。

 このように前作で好評だった要素は概ね継承されたが(一方、不評だったバッドルートの陵辱シーンのようなものは控えられた)、サブヒロインまで含むと前作からヒロインの数は倍近く増えており、ゲーム期間の長期化もあって一人複数回のHシーンは健在ながらも、画像の使い回しなどで個々の質的には薄くなっている。

 前作での特異な設定関係は更に広がり、妖怪?や幽霊に加え、霊能力者、超能力者、人造超能力者と、都築が過去に漫画で描いた作品等からのフィードバックも加わり、そういった力を持つマイノリティの苦悩もより掘り下げて描かれるようになった。

 対する主人公の槙原耕介は、1の真一郎との差別化もあって背の高い大人の男として描かれたが、家事が大得意でプロの料理人という、前作の「日常の象徴」としての面を強化され、非日常を生きる特殊な設定のヒロイン達を支え見守る立場が明確となっている。

 外に出て行く女たち。彼女達が帰ってくる場所を守るものとしての男。この完全家事能力を持つ主夫的な主人公は、物語がヒロイン主体となる美少女ゲームへの都築真紀の回答の一つとして見事に完成している。また、この基本受身な姿勢は1の真一郎や3の恭也の、時にプレイヤーを置いて先走りがちな部分とも対照をなし、プレイヤーの感情移入も余り阻害しないため、シリーズ中で最も人気のある主人公となった。

 しかし都築は、この「ヒロインを戦わせて自分は待つ」という、受身の主人公スタイルに完全には納得はしていなかったようで、耕介も一部シナリオにおいては霊能力を持ち合わせていたことが発覚し、刀をとって戦う面を見せる。この都築の、美少女ゲームの主人公に対する嗜好や問題意識は、その後の作品にも受け継がれていく。

 一人称の視点の変更は、今作ではプレイヤーにヒロインを操作させるに至る。1でもテキストでの選択肢の選択はあったが、今回はマップ画面での移動である。

 3部に登場する最後のヒロイン、リスティをスポットで一度操作するだけなのだが、彼女自身にさざなみ寮の中を歩かせるというこのシーンは、彼女の心境の変化を表現する演出として非常に秀逸であった。

 この1から連なるゲームシステムの利用法は、主人公=プレイヤーとする考え方とは別の観念から来るもので、『ファイアーエムブレム』や『スーパーロボット大戦』といったRPGシミュレーション等の、プレイヤーによるキャラクター操作による自己演出ロールプレイに近い。これは都築もファンだったと言うこれらのシミュレーションRPGの、マップによって出撃ユニットを制限する「強制出撃」演出の影響とも思われるが、ゲームシステムを固定観念に囚われずに自然と物語の為に活かすことが出来るという、都築の柔軟性を表している演出である。

 一方で、ゲームシステム的には主人公育成システムという、簡単な育成ゲームとしての要素を盛り込もうとして失敗もしており(フラグ管理と絡めることが出来ず、形骸だけが残っている(DVD版では完全にオミット)。システムの使用者としては優秀でも、その開発能力については疑問も抱かせられる結果も見せている。




●『とらいあんぐるハート ラブラブおもちゃ箱』

 2000年には1,2の人気を受けて『とらいあんぐるハート』はファンディスクを発売する。

 『とらいあんぐるハート ラブラブおもちゃ箱』。

 ミニゲームや設定資料の他、2本のミニシナリオが収録されていた。

 シナリオの1本は『五月の雪』。『とらハ』1,2のメインキャラ達が総出演し、その上でゲストヒロイン「雪」との物語を描いたものである。

 特筆するべき点は、1,2の全ルートを総合し摺り合わせた結果の話ということ、真一郎と耕介、主人公2人の立ち絵CGが書き起こされたこと、正規ルートでは消滅した幽霊の春原七瀬や姿を消す暗殺者たち、本来いなくなるキャラ達も登場することである。この「皆」がいる圧倒的な多幸感はお祭り的なファンディスクに相応しいが、やはり全てがご都合主義的に解決したわけでもなく、大なり小なり問題は抱えたままであり(七瀬はいずれ消えることが明言される)、多様化したキャラクター同士の間でのそれぞれ思うことも描写される。

 『2』の退魔師である薫との絡みで、『1』の地縛霊である七瀬は



「あの子には、きっとわからない」

「わたしは誰にも……救われたくなんか、ないから」

 と真一郎に暗い気持ちを伝え、真一郎はそれに対し何も言えない、できない自分の無力さを感じる。また、飽くまで一般人である彼は戦闘系技能を持つ「戦う人」の持つ生気に「頑張らないとな」とコンプレックスも抱く。

 『1』のコミュニティと『2』のコミュニティが完全に重ならないこともあり当然の軋轢とも言えるが、非日常を生きるものと日常を生きるもの、種族的なものとしての人間とそうでない者などの間に差が存在する点が改めて浮き彫りになる。

 これまでの世界そのものから完全に外の存在としてのゲストの新規ヒロイン、雪もまたそういった内と外を対比、強調するものとして描かれる。

 『五月の雪』は、こういったキャラクターの大集合と宴会、お祭り騒ぎに留まらず、TVアニメの劇場版よろしく大地を揺るがす大妖怪が出現。それを封印するためにゲストヒロインの雪さんを助けオールキャストが大活躍という展開となる。ギャグではなく、大真面目にこれをやれてしまう程に『とらハ』の世界は拡がっており、如何に常識はずれのキャラクターが多いかというのを改めて気付かされる。

 霊剣使い見習い、元・剣道の名取予定、国家認定ニ級忍者、凶手、念動者×2、夜の一族、地縛霊、霊能者、霊剣…。

 こういった連中の中で主役を果たすのが『1』の主人公、真一郎なのだが、前述のコンプレックスを抱えている通り、殆ど戦闘的には役には立たない。だが、この疎外があるからこそ彼は雪のもつ疎外感と同調することも出来、自分の問題だと一人輪から外れようとしたり、傷つく皆を前に自分を犠牲にしようとする雪を止められるのだし、彼女と結ばれるのも真一郎となっている(ただし一方、物語の説得力的に弱いと思ったのか、かつて大妖怪を封じた、雪の想い人の剣士の子孫なのでは?という節の挿話も追加されている)。

 番外編ではあるが、ここで描かれる真一郎や雪、七瀬の疑問や疎外感、内と外をめぐる問題はシリーズを通すものであり、次作へとも受け継がれる。

 なお、雪は大妖怪「ざらく」の封印を司る雪女で、数百年をざらくと共に生きている。ざらくの額には封印の刀が刺さっており、やがてその刀を抜いてざらくを乗りこなす人物の出現をざらくや雪、封じた剣士の骸は待ち望んでいる。これに加え、ざらくとは別に、国を滅ぼさんという大妖怪が存在することが本編中で触れられており、藤田和日郎の漫画『うしおととら』を想起させる話、設定となっている。また、長い時を封印の眠りで過ごす少女の一時だけの少年との逢瀬と別れというのは、日本ファルコムのYsへの意識が感じられる。



「雪が降ったら、少しだけ……思い出して……」

「いっしょに遊んで、いっしょに笑った……『雪』って名前の、女の子がいたこと……」

という雪の台詞は、



「時々でいいから思い出してください。フィーナという女の子がいたって事を……」


という、『YsII』のEDシーン「お別れです…」のオマージュであろう。

 この「時々でいいから思い出して下さい」という台詞に類似する言葉は、後に別のシナリオでも繰り返されており、都築真紀の抱く、別れや別れた相手に対する共通する姿勢、テーマともなっている。或いはこれは、自分の作る作品を終えたプレイヤー達への、作品自体からの受け手へのメッセージでもあるのかもしれない。



 2本目のミニシナリオは『猫たちの午後』。

 『2』のマニュアル漫画で、主人公が余りに多彩なヒロインを攻略することから、猫の小虎までを攻略するという嘘まで絡めて「耕介マジ鬼畜なのだー」的ネタを描いたところ、そこに描かれた人間化した小虎の姿が人気となってしまったことにより生まれたシナリオである。

 霊力から超能力までなんでもござれとなった「とらハ世界」であるからして、猫を人間化することなど容易い…ということで、冗談を見事公式化している(この体質が後に都築真紀を銀幕にまでデビューさせるのだから感慨深い)。

 しかし内容自体は都築や友人の猫に対する実体験(過去に都築が飼っていた猫は、砂場に首だけ出して埋められていた子猫だった、等)を反映し、冗談からはかけ離れた、猫等の動物・ペットと人間の関係について問題提起をし、猫のボスの座の継承を通して、受け継いだもの、それを受け継ぐことといった、後の『とらハ3』にも続くテーマを描く至極真面目なものだった。

 また、このシナリオを書いたことが、後の『わんことくらそう』へと繋がっているとも思われ、冗談から生まれたと一蹴することは出来ない、味わい深さを持ったシナリオである。


●『とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜』

 こうして1,2、FDと完全に綺堂に乗った『とらハ』シリーズは、 ドラマCD『とらいあんぐるハート'S サウンドステージ』、OVAとらいあんぐるハート さざなみ女子寮』を挟んで、同2000年末、シリーズ完結編と銘打たれた『とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜』を世に放つ。

 3作目ということでシステム周り等が洗練され(1,2ではバグの多さにも定評があった)、これまでMIDIだった音源はPCMとなり、主題歌や音楽はKeyの『Kanon』に参加したI'veやOdiakeSに外注と、見た目が大きく変わった作品となった。

 『2』から引き続き『3』も3部構成。但しルート構成上、ヒロインが2人1組となっており、1部で2人まで絞り込み、2部で最終的な1人を恋人と確定、3部で完全個別のルートとなる仕様である。

 内容的な変更点としては、これまで一貫して一般人であった主人公が御神流という剣術の達人という「戦う人」となったことが大きい。同時に、これまでは積極に描かれてこなかった父母の姿や過去も設定され(父は故人、母も義母ではあるが)、プレイヤーが一体化し感情移入するプレイヤーキャラクターというよりも、一個のキャラクターとしての要素がより強く、主人公・高町恭也は作成されている。

 しかし「戦う人」として設定され、作中屈指の戦闘力を持つものの、恭也は膝に故障を抱えており、フィアッセルートでのみ物語の主人公としてヒロインたるフィアッセを守り切るが、その他のルートではヒロインを導きサポートしながらも、最終的に物語に決着を付けるのはヒロイン達自身となっている。

 特に妹の美由希のシナリオにおいては恭也は美由希の師匠であり、故障した自身が戦うのではなく、父から受け継いだ物を美由希に「託す」存在として明確化されている。美由希の他にもヒロイン2人から師と呼ばれる恭也は、ヒロインに様々なものを「託す」役割が強い。

 結局のところ、『3』においても物語の主体となるのはやはり特殊な設定を持ったヒロインであり、ゲーム上の主人公がそれを見守るだけで終わってしまうという、『1』から取り組んできた問題、『ToHeart』を初めとする過去の美少女ゲーム主人公への都築の疑問は、『とらハ』最終作でもついに解消されていない。

 しかし、ゲーム主人公をプレイヤーの分身的存在から切り離し、一個のキャラクターとしていったことは、その存在を他のヒロインと同格の存在にすることともなり、一人称の語り口、狂言回しと言う役目からも解放することに繋がっている。

 一部個別ルートは、明確に恭也の物語というよりも2人1組になっている「ヒロイン達の物語」となっており、物語上の主人公が完全に恭也からヒロインに移っている。そこでは恭也は2の耕介のように見守り助ける者として描かれたり、主人公としてのヒロインが乗り越えるべき壁として描かれたりと、物語の主人公ではなく重要なキーマンとして描かれることとなった。こうなると3部は恭也とヒロインの恋愛物語ですらなくなり、恭也がゲーム内で選んだヒロインとは別のキャラと子供を作っているEDも存在する。

 都築真紀の結論は、美少女ゲームと言う多ヒロインを描く群像劇と見るならば、ルート・物語によっては別にゲームの主人公キャラが物語の主人公である必要はなく、物語によっては存在すら要らない、ということだったのかもしれない。

 その上でこれがゲームであり、ゲーム主人公が行うことがヒロインを選ぶことであり、それに物語としての意味を付加するならば、それは恭也のように「託す」という行為になるのではなかろうか。

 『とらハ3』は、ゲーム主人公である恭也を通してヒロインを選び、自身が持っていた主人公という概念、物語の主体を彼女たちに「託す」構造を持っているとも言える。

 ゲームシステム上ではオートプレイが実装され、1から伝統の、マップ移動の際に誰がどこにいるかアイコン表示で一目瞭然のDDWS(誰がどこにいるか分かっちゃうシステム)も健在。他にも選択肢毎にオートセーブされる、選択肢を誤った際もED講座に飛ばされ、そこから前の選択肢にも戻れるなど、プレイへのストレスを極力廃したものとなった。

 一方で、決定までの時間制限を設けた時限式の選択肢を実装。文字送りのクリックに依るストレスを廃しつつ、同時にそこで得られていたゲームのプレイ感の減衰が補われている。選択肢が1つしかないにも関わらず、わざわざ選ばせる場面もあり、プレイヤーがゲーム上で何かを選択すると言うよりも、キャラクターがそれを選択したということを強調する演出として使われている。

 視点移動、操作キャラを時にヒロインに変更する演出も健在で、ゲームというスタイルを演出に用いた読み物として円熟の域に達した。

 物語的には主人公が「戦う者」となったことで戦闘志向が高まっており、フィアッセと忍は一応は守られる立場の人間だが、超能力者と夜の一族ということで、能力的には一応戦闘も可能であり、今作では攻略対象で戦闘能力を持たないヒロインは存在しない。

 その上で、命を犠牲に「戦う者」に「守られた」過去を持つ存在、守られる者、戦う者同士の友情、戦う技や心の継承、戦う者を癒すもの、そして戦う理由が丁寧に描かれる。 キャラクター同士の横の繋がりは1の友人関係、2の擬似家族を経て、擬似ではない、高町家という正真正銘の家族を描くに至り、「守りたいもの、ありますか…?」というキャッチコピーの問いの答えの一つとなる、当たり前の日常、その象徴として一層掘り下げられた。ただしこの家族、血の繋がりは複雑で、完全な血縁は桃子となのはの間のみで、居候も多い。

 一方、ヒロインとの複数回Hは健在だが、戦いという要素の強化により、萌えよりも燃えが前面に出た結果、キャラによってはHシーンなしでクリア出来てしまうようになった。また、妹キャラの美由希はメガネっ娘であり、Hのシーンの際に眼鏡の有る無しを選択出来たりもするが、主人公のことは「恭ちゃん」と呼び、「お兄ちゃん」とは決して呼ばないという辺りからも、市場的な需要としての萌え要素の低下が見受けられる。

 世界観的にはやはり『1』『2』と同じ街であり、前作の血縁者なども登場することで更なる広がりを見せている。また、『1』での移動箇所は学校、『2』が寮内という限定された空間であったものが、『3』では移動出来る場所は街全体へと拡大し、同時に登校時は学校、帰宅時は高町家というミクロな箇所内で移動するようになり(高町家は非攻略の母妹というサブキャラの他、ヒロインの居候も多く、また仲良くなったヒロインが頻繁に遊びに来るため、2のさざなみ寮ほどではないが誰と出逢うかを選択する余地が多分に発生する)、その点でも集大成的なものとなっている。

 一方で、『1』,『2』を継承してはいるが『3』は『3』という別個の作品ということで、敢えて出さなかった旧作キャラも多いと都築は語っている。1例としては恭也の妹の「高町なのは」が挙げられる。初期設定では彼女は1の春原七瀬の転生したという裏設定を持った「高町七瀬」というキャラであったが、諸々の理由でこれは没設定となっているのだ。

 しかし、なのは主役のおまけシナリオ『花咲く頃に会いましょう』において、なのはは七瀬と同じ地縛霊アリサ・ローウェルと出逢っており、ある意味での、違った形での継承が為されている。

 生前、友達を得られなかったアリサが、なのはという友達を得るこのシナリオ。なのはを見守る他のキャラクター達の思いや、自分が与えるなのはへの悪影響を自覚している彼女は、自ら消えることを選ぶ。最後の心残り、「自分のために泣いて花を供えてくれる友達」なのはの姿を見たとき、アリサは満足して昇天していくのだ。



「……バイバイ……ともだち……」


 そしてこの様を、奇しくも『1』で七瀬を還したさくらが見守っているのである。作中では一言も七瀬の名は出てこないが、このさくらを通すことで、前作からのプレイヤーはなのはとアリサに春原七瀬という人物を見ずにはいられない。なお、ここでアリサたちを見守ったのはさくらの他、那美と忍であるが、後に彼女らにも七瀬と接点を持つ設定が付け加えられている。

 この「前作を継承した別キャラクター、別作品」というのは、過去の漫画作品から『とらハ』への設定の継承、後のスピンオフの『なのは』へも通じる、都築真紀の作風の一つかもしれない。

 『1』,『2』とは違い、今作は「戦う」主人公たちの物語となったことで、今まではさほど目立たなかった「敵」の姿も描かれている。これまでと同じく、記号化された悪の組織(『1』の暗殺者ヒロインと繋がる設定でもある)、その尖兵として登場する美沙斗である。

 美沙斗は美由希の実の母であり恭也の叔母なのだが、組織に雇われた殺し屋として登場する。彼女がかような裏稼業に手を染め美由希を捨てた理由は、テロ事件により家族、一族を奪われた復讐の為であり、復讐相手の情報を得るために組織の依頼で、恭也の幼馴染であり(ルートによっては恋人の)歌手フィアッセとその母達家族の行うチャリティコンサートを実力行使(最悪の場合は対象の殺害)で中止させに来る「敵」として現れるのだ。

 とらハがこれまで描いてきた人の繋がり、その絆の集約と言える家族、一族。それを喪って復讐者となった美沙斗の姿は、同じ立場となった場合の主人公やヒロイン側(例えばさざなみ寮を喪った耕介、唯子や小鳥を喪った真一郎、高町家を喪った恭也)の可能性の一つである。

 その彼女が、共に残された娘との絆を断ち切り、他の家族を壊す側に回る。それを止めるため、同じような境遇でありながら新たな家族を得た恭也と美由希が戦うと言うのは、血縁関係などもあり若干複雑ではあるが、人の繋がりを描いてきたこのシリーズを締めくくるに相応しい構図と言える。

 『3』のテーマ「守りたいもの、ありますか…?」という問い。その答えを無くしてしまった美沙斗と、得た恭也や美由希という対比である。

 他方、夜の一族である忍、ノエルの物語では、敵として一族の暗部として安次郎という人物が描かれる。忍の両親が残した遺産、そしてノエルを狙う典型的な悪人として、金の為に家族の絆そのものを引き裂こうとする物として描かれている。

 この他、明確な敵がいない物語も語られるが、共通するのは、人の繋がりによる絆、約束といった「守りたいもの」をめぐる物語だったということである。

 また3で重要な点として、もう一つのおまけ「CMスポット」にて『魔法少女リリカルなのは』が嘘CMとして描かれたことが挙げられる。『2』のマニュアル漫画よろしく、これはただの冗談では終わらない。


●『とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱』

 2001年。『3』のファンディスク『とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱』が発売される。

 収録されたミニシナリオは『魔法少女リリカルなのは』。

 『3』のオマケの嘘予告がゲームとして実現。『ラブちゃ箱』の『猫たちの午後』同様、冗談から始まった企画であるが、内容自体はやはりシリアスなものとなっており、時間軸も『3』とそのオマケ『花咲く頃に会いましょう』の後日談となっている。

 アリサとの別れを経験した高町なのはがひょんなきっかけから魔法少女となり、世界に迫る危機的な事件を解決し、その最中で出会ったライバルの男の子と触れ合い、友達になり、恋をするという物語である。

 後に制作されるアニメ版とは完全に別物であるが、なのはが時に感じる、世界中に自分ひとりだけな気がするような寂しさ、友達になる方法として名前を呼び合うなど、受け継がれるものも少なくない。

 シリーズで受け継がれ描かれてきた人同士の繋がり、その最たるものとして『3』で行き着いた家族。これは更にその先の話でもある。

 物語開始時のなのはは、当たり前に家族の中にいる。世界は優しく、日々平和だ。しかし、家族以外の世界を知った。アリサという「外」の友達との出会い、別れ。

 近所の商店街なら、知り合いが声をかけてくれる。だが、普段とは違う商店街に行けば、誰も自分に声をかけない、見ないという寂しさも知る。

 世界は身内、家族だけではないし、親兄弟にも自分の知らない面がいっぱいある。なのは自身もアリサの時に内緒を作ったことを自覚している。

 家族や身内とは別の関係性、繋がりの発見、構築。

 『リリカルなのは』は、家族という究極の人同士の繋がりの中にいたなのはが、そこから出て、また新たな世界、繋がりに向かい、新しく構築していく様を描く物語なのだ。アリサの「いっぱい友達作って、いっぱい幸せになるんだよ」という言葉ともこれは繋がっている。

 なお、3の主人公の恭也がなのはの恋人となるわけではなく、なのはの恋愛の相手に用意されたのは新規キャラクターのクロノである。

 クロノは異世界からやってきた、完全な「外」の人物としてだけではなく、『とらハ』シリーズがこれまで紡いできた「人同士の繋がり」を解くキャラクターとして描かれており、シリーズへのアンチテーゼとしての役割を持ったキャラクターでもある。

 『3』の美沙斗と近い存在で、実際、作中でもそれを指摘するやりとりもある。クロノとなのは、或いは恭也や美沙斗とのやりとりは、『3』のリフレインであると同時に、更に一歩進んだ、人同士の繋がりに対する作品内の自己問答ともとれる。



【クロノ】

「悲しみを消したいとは思いません?

 もっとつきつめると

 ……悲しまないためには……誰かと縁を持つこと、そのものをしない……

 …そうとも考えられません?」



【恭也】

「確かに、そうだな……

 ……だけど、それじゃあ……

 ……だれとも触れ合わない、その人自身が……悲しいんじゃないか?」



【美沙斗】

「……友達を作って……一緒に笑って……

 ……他の人と一緒に、普通に、過ごしていてごらん……

 ……大切なものなんて……次から次へと、出来ていくから

 ……亡くしたものの穴が……埋まるわけじゃないけど……

 ……少なくとも自分のことは、そんなに嫌いではなくなると思うよ……」

 このゲーム版『魔法少女リリカルなのは』は、タイトルが示すように物語的にもゲームの操作キャラ的にも主人公は高町なのはであるのだが、並行してなのはの授業中などには視点/操作移動を行い(時には更に他のキャラを操作することもある)、恭也のその後も描かれている。なお、恭也の立ち絵CGが新規で描き下ろされているが、恭也視点からその姿は見られず、なのは視点の時にのみ恭也の姿を見ることが出来る(反対に、なのは視点のときは、なのはの立ち絵CGが表示されない)。

 今作で恭也は、『2』のリスティの妹でもある医師フィリスの治療を受け、『3』本編中では治ることがないとされていた膝の故障の回復が見込まれる描写が示されている。また、選択次第によってはフィリスと結ばれる展開も用意されている。

 その他、なのはの関わる事件、魔法が記憶を扱うものであるため、高町家の父母やサブキャラの過去話も盛り込まれ、本編の補完をも果たす『とらハ3.5』的な内容とボリューム(全14話)を持つ豪華なミニシナリオとなっている。冗談を本気でやるにも程がある。

 そもそもが冗談企画を基にしているため、ステッキであるレイジングハートのデザインが『カードキャプターさくらさくらカード編のものと酷似していたり、展開そのものも『CCさくら』をトレースしていたりする部分があったりするが、例によってそれらはパロディではなくオマージュに留められ、最終的な展開は『とらハ』としか言いようがないものへと帰結する。風に負けない、ハートの形。次元災害の濁流の中、なのはとクロノの想いは、負けない。

 第14話。今作のキャッチコピーである「たいせつなもの、なんですか……?」と同じ意味のクロノの問いに対する、作中での高町なのはの答えは、シリーズの締めとして相応しく、『とらいあんぐるハート』というシリーズがなにを根幹としていたかを纏める言葉とも言える。そしてこの言葉通り、なのはの新たな物語は「自分の気持ち」から、別の形で始まっていく。



「……家族と、思い出と……友達と恋人と、自分と」

「………自分の宝物、たくさん…」

「……『ひとつだけ』なんて、選べないよ……」



『それでも、どうしてもひとつだけ、選ぶとしたら…?』



「……自分の、気持ち」

「……特に、『好き』って気持ち」

「……『好きだな』って思うものは……みんな、大切になるもん」

「……形が残ってても、残ってなくても……」

「『好き!』って気持ちが消えなければ……

 たいせつなものは、ちゃんと……輝いたまま、胸の中にしまっておける」

「……想い出も優しさも、宝物も……」

「……みんな、『好き』って気持ちから、始まるんだよ」

●そして…とらハあふたー

 単体パッケージの美少女ゲームとしての『とらハ』は以上でシリーズを終了するが、その後もOVAの『さざなみ女子寮』シリーズやCDのサウンドステージシリーズが展開し、2002年に『とらいあんぐるハート1・2・3 DVD EDITION』としてこれまでのシリーズ3作とFD2作のミニシナリオを纏めたDVD版が発売される。このDVD版には1,2,3の新規オマケシナリオが更に一遍ずつ追加された。このオマケシナリオでは、新規の立ち絵CG、そして主人公たちの声が追加されており、1のオマケ『ナツノカケラ』は春原七瀬を初めとする1のキャラクターたちの補完をし(2,3の一部キャラクターも出演)、2の『美緒のデンタルパニック』では美緒追跡シーンで視点移動の極致を見せ(OVA版からの楓も登場)、3の『お正月だよ全員集合』ではタイトル通り、1,2,3オールスターキャストの正月の風景、本編のその後を描いている(ED、スタッフロールが流れるのは『お正月だよ全員集合』だけである)。

 『お正月だよ全員集合』においての一応の操作キャラクターは恭也であり、主に恭也視点で物語は語られ選択肢も存在するが、基本的には読み進めるだけの群像劇的なシナリオである。シリーズの主人公たち全員に立ち絵CGと、ついに声が与えられる。最後の最後のシナリオで、主人公もヒロインもサブヒロインも、1登場人物として完全に同格となったと言える。その上で、このシリーズを締めるのが、3本編やFDで主人公の座を追われていた恭也の独白と言うのもまた、興味深い。



…当たり前の朝…あたりまえの日々。

だけど、嬉しいことや楽しいことがあって。

悲しいことも、つらいことも…きっと少しはあって。

変わっていくもの…変わらないもの。

…大切なものは、いくつもあって。

帰りたい場所があって…。

会いたいと思う人がいる。

きっと、それが一番、幸せなこと。

 最後のこのモノローグは、ゲーム版『魔法少女リリカルなのは』でのなのはの言葉に続く、『とらいあんぐるハート』の総括だ。なのはの言う大切な「好き」という気持ちが、恭也の言うこの「一番、幸せなこと」を作り出す。その上で当たり前の日々を過ごしていく。それが『とらハ』というゲーム作品だった。

 こうしてゲームは完全に完結したが、『とらハ』は若干のシリーズ展開を続け、並行して都築は漫画、ゲーム、ボイスドラマ、アニメとジャンルを問わず新たな作品の製作を行っていく。

 2003年にはラジオ『とらいあんぐるハート'S Radio Stage』を経て、3を下敷としたOVAとらいあんぐるハート 〜Sweet Songs Forever〜』シリーズを発売。都築は脚本も務めたこの作品で、新房昭之や草川啓造らと共に仕事をし、2004年、彼らと共にTVシリーズで『魔法少女リリカルなのは』を送り出すこととなる。同年に美少女ゲームの新作『桜待坂Stories vol.1』を発売するが、話題と人気を圧倒的に集めたのはアニメ版の『魔法少女リリカルなのは』であった。
 2005年に『桜待坂Stories vol.2 せんせいがおしえてあげる』が発売されるが、桜待坂Storiesというシリーズであることは小さな表記に留まっており、前作での商業的な苦戦が伺える。

 そして2006年『わんことくらそう』を出したのを最後に、都築真紀美少女ゲームの新作を発表していない。

 『桜街坂』シリーズは、一つの町を舞台に別々の物語をオムニバスで語り、場所や登場キャラクター同士の重なりでリンクさせることが売り。『とらハ』シリーズの特色の一つであった、横の繋がりに重点をおいて、『とらハ』の拡がりすぎた世界観をリセットして、もう一度ああいった空間を新たに始めようとしたシリーズであると考えられるが、掌編的な作品であり、後続作が続かなかった為、リセットしただけで再構築には至らなかった。ふにぷにシステムという、H時にヒロインの身体の好きな箇所を弄ったり叩いたりできるシステムが特徴である。

 『わんことくらそう』は、わんこという人型の動物を通して描かれる、ペットについての物語。『猫たちの午後』や過去に発表した同人漫画の『A.O.S』が呼び水になっているのだろうと思われるが、様々な意味でより先鋭化している。『とらハ』で描いてきた、人とは異なる種族のいる、現実の我々のものとは何処か違った日常が、その違う部分で現実を風刺しつつ異世界観を醸し出すというこの世界設定は、『桜街坂』でリセットしたときにオミットした「とらハ」世界のもう一つの要素「異世界の日常」を凝縮したものとも言える。一方で、桜街坂のようにオムニバスではなく、とらハの後期作と同じ「EYES OF 〜」の視点移動を使った群像劇という側面も継承し、キャラクターの横の繋がりを描くことで独特の世界観やキャラクター、物語を巧く見せてもいる。単にラブいちゃであり、且つ、深遠。美少女ゲームではなく、エロゲーと呼びたい。最大限の敬意を込めて。

 しかし、これら『とらハ』以降の都築ゲームは、商業的に大きな成功を収めたとは言い難い。これには都築自身も後に述懐しているが、アダルトゲーム業界その物の転機「大手メーカーの大作ソフトは爆発的なヒットを飛ばすけど、それ以外の中小メーカーはどれも頭打ち、という厳しい状況」だったためでもある。そこに『Fate』という同人界からの黒船がやってきたことが大きく影響している。『Fate』をプレイした都築は、こう漏らしている。「これはもう、自分がアダルトゲーム業界で、なおかつストーリー系で生きていくのは無理だな」と。

 一方で、『とらハ』の中にあった戦闘志向と、ゲーム版『なのは』の「新たな関係の構築」という路線を受け継いだ、アニメシリーズの『なのは』は好評で、都築はそのままアニメ業界を主戦場とし、『なのは』は『魔法少女リリカルなのはA's』『魔法少女リリカルなのはStrikerS』とシリーズを重ね、遂には2010年、劇場アニメの『NANOHA』として銀幕を飾る。奇しくも『Fate』の劇場版が公開される同年であった。