富野ファンではない僕と、Gのレコンギスタ(その5)

 さて。『Gのレコンギスタ』の本放映が始まりましたが、私はまだ見ていません。



 1日違いの地上波TV放映に「ネタバレすんな」「お前らだっていつもしてんだろ」やんややんやと関東と関西の方々が天上の争いをしておられる遥か数日〜1週間後、BSの放送も終わり、ネタバレとか今更なにそれ? ってなった後に、お金払って地デジ以下の画質音質のネット配信で番組を見る、(衛星)アンテナ無しのアンダー地方人もいるということを、どうか覚えていて下さい……。

 なんか書いててほんと惨めな気分になってきますね…。別に作品に対してお金払うのはいいんですけど、払わなくても作品視聴可能なサービス受けられてる人達を横に見ながら、自分達だけお金を払って、その人達より後から、しかも1段劣るサービスを受けるっていうのには、やはりつらみがあります。

 最寄りの映画館で上映してくれて、全国誰でも同じ値段で観られるならどれだけよかっただろう……。

 前もどこかで言いましたが、円盤マラソンするって決めた作品を、さらに地上波より遅い有料配信でおっかけるのって、放映圏の人の実況とかが目に入る環境だと金銭以上に精神的に辛くて、とてもじゃないですがやってられないです(前期『キャプテン・アース』のことです。先だって25話最終回を迎えましたが、円盤はまだ3巻までしか出ていません。8話です)。

 孤独に作品と1対1で接するならそれでもいいのですが、ネットやSNSを通じて、不特定多数の人達と一緒に同じ作品について語り合ったりする行為に慣れきってしまうと、集団の中にいる孤独というのを意識してしまってつらいですね。

 ネットが地方と中央を繋げ、通信とかSNSとかネット通販とかが色んな物をフラットにしてくれましたけれど、逆にネットによってある種の地方落差を以前より大きく感じることもあって、難しいものだなと思います。

 勿論、放映圏に住んでいる人達には別に何も悪いところはなく、別け隔てのないサービスを提供せずに地方落差を作り出している公式が悪いと言えばその通りなのですが、サービスを提供してくれる企業も慈善事業ではないですから、その在り方ばかりを責めるのもお門違いではあり、悩ましい。

 現状の『Gのレコンギスタ』なんかのような僅かな地上波と有料ネット配信が基本の放映形態の場合、放映圏外の地方民に対して「見て下さい」って薦めることは、つまりこの惨めさを許容しろっていうことであって、それに気づくような聡くて優しい人にとっては、そういう素直な応援が実は凄く難しい。

 先行上映で映画館の大画面で見て、さらに地上波で無料で見られてHD画質で録画することも可能な中央の人達が、これは面白いから地方の君達も数日遅れで有料だけど見ろっていうの、形だけ見れば凄い酷い。それが判る、作品を好きで且つ聡い人が素直に応援し辛い、人に勧め辛いっていうのは、作品に関わる皆にとって不幸です。

 ただ、考えようによってはこの視聴環境落差自体は色々なものを内包していて、違う立場のファンたちが、それぞれそれにどう接するかっていうのは、凄く富野的なミッションで、面白いことなんじゃないか、という気もします。

 地方人は貧乏くじ引いて気の毒だけれど、でも『Gレコ』は面白いから見ろ、見ない方が後悔する、悪いのはバンダイだ、でもお金を払う価値は絶対にあるって開き直っちゃうのは1つの手だと思います。放映圏と圏外、置かれた状況への直接の責任はどちらにもないのは確かですし。理不尽に感じるかもしれないけれど、それはそれでしょうがない。割りきってそれぞれの立場で楽しむのは、ベストではないかもしれないですがベターな正解の1つでしょう。

 或いは、バンダイや放送局を変えよう、動かそうってする。どうすればいいかを考える。

 ……これはほんと情けない、個人的な恨み節になってしまうのですが、富野ファンを自認して、子供達に見せてあげたい、監督の願いを叶えたいと願い、尚且つ先行上映で観て『Gレコ』を傑作だと確信したっていう中央のアーリーアダプターの人達には、本放映までの1ヶ月の間に、上映館や放映圏拡大を訴える署名活動とかをして欲しかったのですよね。個々人で要望書をバンダイや放送局に送るのでもいい。雑誌やラジオに投稿しまくるんでもいい。円盤すら出ないマイナー作品のファンがそうしてきたような、草の根レベルからの活動であってもやって欲しかった(勿論そうしている人達もいると思いますが)。古い話ですけれど、『踊る大捜査線』がシリーズ化したのはフジテレビに再放送を求める複数のハガキが届いたからこそでしたし、最初の『ガンダム』だって、署名活動と嘆願書によって再放送を勝ち取っています。WEB上で話題にしようと頑張ってる方はいっぱいいて、それも勿論素晴らしいのですが、その労力の何割かをハガキを書くことでいいので、リアルな活動にも向けて欲しかった(ネットだってリアルだと言われればその通りなんですが、現状でネット上の活動っていうのは、ハガキを1枚出すよりずっと弱いと思います。某BD化企画に於いては、WEBの15000票はハガキ換算で500票として扱われました)。



 そんなの、見たい地方人のお前がやれというのはその通りなんです。

 ネットやSNSで「面白いよ!」「見て!」って言う当たり前のファン活動に、「俺らにだけ金を出せ」っていうのかって僻みを感じるっていうのも、筋が通ってない身勝手な情動です。



 でも、前述の地方人の惨めさとその理由のなさがあって、その上で更なるコストを負うのって、ちょっと私には出来なかった。なんで自分達だけがって思ってしまった。本当に情けない話なんですが、何もしないで自分達以上の待遇を得られている中央の人達に対して妬みやそねみを抱いてしまった。頭ではその人達は悪く無い(というか関係ない)、自分達の問題だと分かっていても、自分達だけが血を流さなければならないことに納得できなかった。どうせコストを払うなら有料配信で見るのも一緒だと日和る気持ちもあった(それだと自分はいいけど子供達は見られないのに)。

 前回は書かなかったですけれど、富野監督の「貴方たちの子供に見せて下さい」っていう発言を初めて聞いた時、単純にそういう、ファーストガンダムの時にファン達がしてくれた署名活動を期待しているんじゃないかっていうのも、ちらっと思ったのですよね。再放送を勝ち取ったように、放送枠、配信枠を勝ち取って欲しい、というような。なのにそれをしない中央のファンというのは、自分達は見られるならそれでいいと思っているんだろう、なんて邪推とそれによるどす黒い怨念を抱いてしまった。勝手な妄想からほんとひどい話なんですが。きっと、そういうことを思うのは、私が視聴可能な立場であったらそういう風に自分が良ければいいという類だからで、多分その立場であっても何もしない人間だからこそで、勝手極まりないですね。自分がやってないことを他の人にやって欲しいなんて、ほんと身勝手で、クズ過ぎる。

 中央の人達にも血を流して欲しかった。それは、俺が不幸なんだからお前らも不幸になれっていう、理不尽極まりない感情や姿勢にも繋がってることで、本当は誰も血を流さないで済む方向を模索するべきだし、誰かが流さなくてはいけないのなら、せめて自分がっていうのが立派な大人の態度であって、自分が捨て石になるのだとしても、その結果、自分以外の地方の子ども達にも見せられるならそれで納得するべきだっていうのも頭では理解ってる。

 でも、僕はそこまで人間ができていなくて、本当に情けない限りなんですが、自分からことを起こすことが出来なくて、こんなところで愚痴っている。

 なんで立ち上がらないのか、という問いに、自分はそこまで富野監督を好きじゃないからだ、冒頭10分を見た限り、『Gレコ』を面白いと思えないからだ、なんて嘯いてね(だからこのシリーズもこんなタイトル)。

 冒頭10分じゃ決められなかった、という言い訳は本編を見てしまったら通用しません。覚悟を決めなくてはなりません。

 WEB配信まで、あと少しです。

(続く)

※今回だけですます調なのは、この話は本来枕であって、別に本編の昔語りがあったからなのですが、思ったより長くなってしまったので、今回はここまでで、それはまた次の機会に。