引っ越し準備中

俺はつくづくとモノを捨てられないのだなぁと、片付かない部屋を眺める。
幾つかDVDを処分しよう、せめてその前に一度くらい見ておこうと(俺にも買うだけで開封もしないという悪癖がある。放っておくうちに\7〜8kで買ったものが\300とかまで下がったり、逆に10万に上がったりするのを見ていると、モノの価値というものについて考えさせられるね)、ようやく『CLANNAD』TVアニメのDVDを見ていたりもする。人生の整理。友人の家に行ったときに流してるのであったりで断片的に見たりはしているけれど、通しては初見だ。
順に見ていく中、間違えて5巻を2個買って6巻がない(5巻は友人に譲った)のを思い出す。
レンタルに行ったけど貸出中。仕方なく6巻を飛ばして最終話まで。
下手に原作に擦り寄ろうとしている序盤の構成とか酷いものだと思うけれど、風子参上など原作にないオリジナル部分、部活要素、特に後半の原作渚ルートに沿うようでいて原作に存在しない部分がとても面白い。やはり別物だとは感じるけれど。
いい作品だね。面白かった。
ようやく原作も最後までやりたいと思えたかもしれない。
EDの「だんご大家族」素晴らしい。何度もコレは言ってるけど。『渚』でやったのは卑怯だ。


他には芽衣のCV田村ゆかりで、高町なのはが『とらハ3』時に「最強究極の妹キャラ」として創作された存在であることを思い出したりもした。
特別編は、渚が「朋也」と名を呼ぶ呼ばないの話の時にことみが持ってる人参がひとで型(☆)にカットされてるものだったのが風子を思い起こさせていい演出だったな。


あと智代とてもヤンキーズドリーム。


しかし『CLANNAD』はダメ人間のダメ人間によるダメ人間のための物語なんだけど全部一つずつ本当のダメからズレてる感じかして胸にモヤモヤが残るね(それがいいのかもしれないけれど)。
挫折とか喪失とか身体的問題とかコミュニケーション不全とか社会不適合とか、リアルさと嘘っぽさが入り交じっていてとても不安になる作りは意識的なんだろうか。


原作含め『CLANNAD』という作品のファン層はダメ人間であって欲しいと思うけれど、本当のダメ人間ではないと思う。
これは自他を見てきての結論。


本当のダメ人間はこの作品にすら最後まで着いて行けないで挫折する。
ソースは俺。あと彼と彼女と他色々。