KEYネタバレ掲示板1999 その1

Kanonに起こらなかった奇蹟なんてありますか?
-No.10764 by 雪駄 [sapcc-01p10.ppp.odn.ad.jp] at 1999/8/21(土) 09:30 削除(コメントを含む)
「起こらないから奇跡っていうんですよ」

起こらなかった奇蹟って、Kanonにあるでしょうか?
栞のバッドだって、実際は助かって大事を取って入院してるだけかもしれません(祐一に
早く会いたいという気持ちがトゥルーに比べて少ないから無理しないとか)。
真琴や舞にはすでに奇蹟は起こっているし、あゆだってすでに生き霊の段階で奇跡だし、
姿を消した後も祐一たちが知らないだけで目は醒ましたかもしれません。
名雪シナリオでは、あんなことがあってもまだ祐一が好きで、祐一も名雪を好きになった
という、このラブストーリーが奇跡ですよね。

Kanonで扱っていた奇蹟とは「気づいたらそこにあった奇跡」です。

あゆと真琴を例に取りましょう。
本来はそこにいないはずのあゆと会っていた。狐の真琴が人間になって自分に会いに来ていた。
彼女らも存在は、それぞれのシナリオで祐一が気づいた奇跡です。
他のシナリオをプレイすれば、それに祐一は気づきません。
気づかなければ、彼女らの存在はは祐一にとっては奇跡でも何でもない日常です。
Kanonは日常という何気ないものを形成しているに隠されているバックボーンを奇跡という
カタチで示し、「日常」の切なさはかなさや煌きを表現しているんだと思います。
Kanonの共通バッドエンドって、日常のそうした意味に気づかずにただ生きていくってい
うエンディング。
シナリオ別のバッドは日常の裏の意味に気づいたときに、それが痛そうだからって、それ
以上見るのをやめて目を背けるエンディングです。
これらは日常の意味を見るのを辞めたから結末が分からなかっただけで、奇跡が起こらな
かった、という描写はないんですね。
きっと、バッドエンディングでも栞やあゆに奇跡は起こってるんです。
祐一が結末から目を背けちゃっているからそれが分からないだけで。

私がKanonのテーマに見たのは何気ない「日常」です。
その中に隠されたさまざまな興味深いドラマは、目を向ければ見えてくるし、逸らせば何
でもない事になってしまう。そしてそういったドラマには奇跡もあれば、痛い現実もある。
私たち一人一人がここに今いて、生きているという日常って、考えてみれば奇蹟ですよね。
親同士が出会わなかったらそれだけでここにいないんですから。
ひょっとしたら、私が生きているのは、あゆのように眠り続けた誰かが犠牲になって適え
てくれた奇蹟なのかもしれません。

そういう、当たり前だけどナカナカ気づかない、色んな物を内包している日常というもの
を表現する事がKanonの目的であって、辛い現実を受け入れなくちゃいけないとか、そうす
れば奇蹟が起こるとかいう一方的なメッセージは無かったと思うんですよね。
最近議論されている祐一が「現実から目を背けない」ことは実は解決されるべき問題自体
にはなんの影響もしていないし、Kanonのシナリオテーマにも無関係だと思います。
見続ければ結末が分かる。目を逸らせば結末は分からない。
このことってなんかメッセージ性有りますかね?

Kanonって、プレイヤーにこうしなさい、ああしなさい、ていう直接的な生き方指導のメ
ッセージってないと思うんですよ。
あるとすれば、「日常を視点を変えて見てみれば色んな物が見えるよ」っていうくらいで。


-No.10767 by キシ・タケ [x100-104.mitaka.highway.ne.jp] at 1999/8/21(土) 10:08 削除
祐一談:
「・・・奇跡がおこってれば
あのジャムの存在を知らずに生涯をまっとうできたかな・・・」(遠い目)

名雪「わたしだってそうだよ」
香里「あのジャムに出会っちゃったことが奇跡なのかも・・・」

秋子さん「みなさん、なにか言ってましたか?」


・・・すみません、オレギャグ担当なもので・・・


-No.10773 by 愛のチャンプ [thyme.media.kyoto-u.ac.jp] at 1999/8/21(土) 15:18 削除
雪駄さん、はじめまして。日常も視点を変えれば色んな見え方がある。
というご意見は非常に興味深い解釈だと思います。実は避雷針さんという
方が主催されている「KANONのメッセージ性」というスレッドで
カノンには明確なメッセージはあるのかということを議論している
のですが、メッセージはなかったという方向で収束しつつありましたので
雪駄さんのご意見を考慮しますと、もう一度解釈し直す必要があるような
気がします。それで、もしよろしければそちらのスレッドにもいらして
みてください。それから僕なりに考えたことを書かせていただきたいのですが
まず、僕は、祐一が気づかなかっただけで奇跡は起こっている
というのは少し違うように思います。
少なくとも冒頭に挙げられた栞のセリフが意味するところの「奇跡」とは違います。
なぜならこのセリフの意味する奇跡は起こる可能性が低いということ
ですから逆に言えば確率は低いけど現実に起こりうるのです。
その点であゆ、真琴の場合の奇跡とは本質的にことなります。
なぜならこの場合の奇跡は現実にありえない事が起こったという意味の
奇跡だからです。
確かに御指摘されるように奇跡とされる出来事自体
(狐の真琴が人として現れたという事等)
は実際に起こっていますが、僕はそれをあえて奇跡の名で呼ぶことに
抵抗を感じるのです。その理由は以下の通りです。
まず、各シナリオの奇跡をあえて奇跡と言うならば、祐一の周りには
4つも5つも奇跡が起こっていることになり、奇跡の持つ意味が非常に
安っぽいものになることです。これは書いてから気づきましたけど
香里のセリフのままですね。つまりは奇跡という希少性ゆえに価値をもつ
ものがインフレをおこしてしまうということです。
ただ、奇跡によって形づくられる日常は奇跡であることを気づかれないがゆえ
儚いのだという意見は賛成です。
これは始めにも書きましたがカノン全体を貫くテーマとなり得ると思います。
次にバッドエンドは日常に隠された意味が痛そうだから目をそむけた結果だ、
という意見について。
これは、非常に情緒的というか文学的な美しい解釈だと思います。
これは、祐一があゆとの思い出をなかなか思い出そうとしなかったことにも
通ずるものがありますね。
彼の深層心理が思い出すことを避けさせたのでしょうが、
思い出してしまえば、残るのはただ辛い現実だけというのはゲーム中にも
語られました。
それでは、また。




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-No.10808 by 避雷針 [ppp4.sakai-ap.dti.ne.jp] at 1999/8/22(日) 00:13 削除
どうも、避雷針と言う者です。
雪駄 さん初めまして
あまり他のところに、コメントは付けないんですが
自分の立ち上げたのにお返事書くだけで、
大変だからです。^^)
でも、大変面白い考察なので、混ぜてもらおうと

>気づいたらそこにあった奇跡
そうでしょうね
ただ、自分が生きてることを奇跡と
考える人は少ないでしょう
本当は凄い奇跡なんですが・・・

KANONのテーマに見たのは何気ない「日常」
途中で、終わればそうかもしれません
でも、残りの後半の進行で
あれほどの死がかかわるという事から、
>何気ない「日常」 では無いと解釈いたします。
これがテーマになってしまうと、
ただ、信号待ちで横になった人の人生まで
考えてみなさいと言われてるような気がするからです。

>見続ければ結末が分かる。目を逸らせば結末は分からない。
>このことってなんかメッセージ性有りますかね?
ドラマ視点ですね 
KANONにメッセージ性を求めるのは、
やはり、感動したからですね。
下に被るので、ここで

>直接的な生き方指導のメッセージ をするような
そういう物に出会ったことありますか?
幸か不幸か私は無いです。
全て良いなと思った物を、なぜ良いと思ったのか
考えて自分なりの解釈をつけて
メッセージとする物だと私は思います
KANONに感動したので、それを求めてるんですが
難解なんですよ。だから他の人にも聞いてみる
それが気軽にどこからでも出来る時代になったのは
私にとっては嬉しい事です。
戦争物なんかは特にメッセージを考える物だとは思いますが・・・
戦争物を見てかっこいいなぁと言う感想しか持たない人も
(私にとって)悲しいですが、いるのは事実です。
で、KANONは私なりの解釈ですが
どんな辛い事があって、それから逃げたとしても
いつかは向き合わなくてはいけませんよ
そして、そういうのを乗り越えて
幸せはつかむ物なんですよ
と言うメッセージは受け取っています。
あくまで、個人的意見ですので。
日常を視点を変えて見てみれば色んな物が見えるよ
と言うメッセージはONEで、感じましたね(まだ途中ですが)

ひょっとしたら、雪駄 さん
キシ・タケさんのような物を求めてたのかもしれません
だとすれば、こんな堅い物を書いた事に関してお詫びいたします。
ただ、非常に面白かったので書かせていただきました。

#愛のチャンプ さん
どうも。出没です^^)
>メッセージはなかったという方向で
>収束しつつありました
しまった、最近関係無い方向に行ってましたね。
今度の書き込みで、方向を戻そうと思います。
収束しつつなんて言わないで・・・
まだ、続けたいです。^^)

では 雪駄さんこれで。

-No.10930 by SilentBells [ppp18.cats.ne.jp] at 1999/8/22(日) 21:23 削除
雪駄さん
こんにちは。先日は私のスレッドにRES戴いて有難うございます。
雪駄さんのWEBページも見せて戴きました。
ブギーポップシリーズはこの前一気に読み終わりましたが、なかなか
良かったです。最新刊は、挿絵を見る限り、幼少ポップちゃんが活躍
するのかと期待していたのですが、あまりしませんでした(笑)。

>Kanonは日常という何気ないものを形成しているに隠されている
>バックボーンを奇跡というカタチで示し、「日常」の切なさはかなさや
>煌きを表現しているんだと思います。

話がややこしくなったので、基本的なところから押さえなおそう
という趣旨ですね。

私が今思っているのはKanonのメッセージには、2系統あって、
今、気になっているのは、名雪の『この街を好きになって欲しい』
なのですが、もう一方、確実に基本的なところを要約すると、
『時は流れ、季節はめぐる』ということだと思うんです。
当たり前の日常のことを言っている、という点ではまさしくこの
メッセージは当たり前のことを言っているようです。

またテーマとしては、心象的な意味も含めて、
『冬から春への風景の移り変わり』を描いた作品だということが
言えると思います。少なくともこの点については、全部のシナリオに
ついて当てはまるでしょう。

だから多分、自分の中に「溶けない雪」を抱えている人なんかには
割と穏やかに作用するメッセージだったんじゃないかと思うのです。
ONEのようにキーワードを駆使して攻める仕方なら、むしろ、
『時は流れず』とでもやった方が面白かったのかも知れませんね。

それはともかく、『時は流れ、季節はめぐる』というメッセージを
伝えるのにも、本質は同じだけど、様相の違う4つのテーマが
存在し得るということは、直感的にも明らかでしょう。
私の思うに、この「様相の違い」に焦点を合わせられないと感想も
考察も、少しずれた内容になってしまうと思うんです。

『日本の春も夏も秋も冬も、温帯モンスーン気候という点では
 同じだ。要は温帯モンスーン気候なのだ。同じなのだ。』

そこまではいいと思いますが、どうも最近色々と他のページなどの
Kanon批判の趣旨を見ていても、違うなと思うのは、作品の構造を
指摘しても、「様相の違い」に着目していないなと少し思います。

例えばグイン・サーガなどでは、
『自分の生涯を何に捧げるべきか?』という大テーマについて、
「愛・夢・運命」の3つの様相があると指摘しています。
(借りて読んだだけなので、うろ覚えです。)
夢に属する事柄を扱っているのに、運命に属する事柄を期待して
「残念だ」と言ってみても仕方がないといえば仕方がないです。
同じといえば同じだし、違うといえば違うのですから。

私の見る限り、Kanonについて、
『どうも私の望んでいるのとは違う展開だった。残念だ。』
という趣旨の批判をしてらっしゃる方というのは、違う様相を求める
性向があって、そのために、Kanonの様相に心のチャンネルを
合わせられないでいるように見えます。

たとえば、誰の考察に対するRESというわけでもないですが、
『一生懸命努力してみたけど、結果は駄目だった。』を望む人がいますが、
これはどちらかというと「夏→秋」系でしょう。

『私は「夏→秋」系が好きなのだが、
 Kanonは「冬→春」系なのでまあ仕方がないか。』
ということならわかるんですけど。

もちろん、こうしたカテゴリ化は、私が私なりに様相の違いを区別する
仕方にすぎないわけで、絶対ではないのですが、
自分なりに自分の言葉で区別をつけておくと、混乱が避けられます。


>私がKanonのテーマに見たのは何気ない「日常」です。

それは大いにありだと思います。昔は、変わらない日常を描いた作品が
多かったもので、『箱庭世界をつくって、現実逃避している』の類の
批判が通用したのですが、最近はそもそも箱庭世界すら作れない作品が
多いのでして、今はむしろ、日常を淡々と描いてくれる作品の方が
私にとってはすごい貴重だったりします。

本当は私の場合、Kanonの後半のクライマックスに向かう部分というのは、
ブコメがネタに困った時に立ち上げるシリアス編みたいなものと
思えて、いまいち気がのらなかったりしたわけなのですが(^_^;
後になって、あれこれ考察する素材としては面白いのですけれど。

長くなりましたので、この辺で。




                                                                                                                                                              • -

-No.10975 by kanna24【あゆ】 [tkscc-01p01.ppp.odn.ad.jp] at 1999/8/23(月) 02:05 削除
最近またカキコが増えてきたなぁ。
考察系は読むのもレスするのも大変です〜。

えっと、ある数学者に言わせると、
数限りない奇跡の上に、我々の生活は成り立っている。
奇跡無くして、今の私たちはないし、これからもない。
と言うことのようです。
うろ覚えです。(誰だったかも忘れた)

簡単に言うと、どれを奇跡と認定するかは人による、と言うことでしょうか?
(ちょっと投げやりなレスですね)







精神病の伝染について↓

http://member.nifty.ne.jp/windyfield/diary.html#14



-で、最後に俺が書いたのがコレらしい
どうも、読んでレス下さった方々、ありがとうございました。

一応、この書き込みで書いたことなんかを発展させて自分のページに

        「奇蹟から見たKanonという表現」

なんていう論考もアップしたりしましたので、興味のある方は読んで見てください。

それでは、折角ですので一応個別レスポンスなど。
ただ、返答っぽいものが論考の中にあるものはちょっと省かせていただきました。すいま
せん。

キシ・タケさん>
>香里「あのジャムに出会っちゃったことが奇跡なのかも・・・」

ここであゆじゃなく香里を出すところに愛を感じますね(^^)
あの香里に奇蹟を信じさせられるならば…、秋子さんオリジナル(ジャム)も作り出され
た甲斐があるってもんですよね。どんなにアレな味でも、突き抜ければ奇蹟。うんうん。
…はっ、殺気!? ていうかあやしいかほり!??

愛のチャンプさん>
>少なくとも冒頭に挙げられた栞のセリフが意味するところの「奇跡」とは違います。

プレイヤーやゲーム中のキャラクターが連想し望む奇蹟の殆どは。そういう意味でのイベ
ントとしての奇蹟ですよね。
でも、実際にゲーム中で見つかる奇蹟は、ある意味それらを裏切った、ほんとなんでもな
い「状態」を形成している奇蹟です。
そして栞シナリオで最期の起こった奇蹟だけが、プレイヤーやキャラクターが本当に望ん
でいた奇蹟だった(あゆが生きていた、目覚めたとういうのはだの事実であって、奇蹟で
はない。むしろ生き霊だったという消えるまでのあの状態こそが奇蹟。秋子さんの事故と
その回復はただの突発事故である)。
舞シナリオは非常に特殊なんですが、あの「力」の存在が奇蹟ですからね。

避雷針さん>
>あれほどの死がかかわるという事から、

死すらもこの作品では記号、演出の一環であると捉えて見てください。
私はこの作品の死は生という日常を浮かび上がらせる対照としての要素だと思います。
舞シナリオでの自殺は特殊で、奇蹟を表現する、過去への決別等、様々な要素が絡んでる
ようですが。

>ただ、信号待ちで横になった人の人生まで
>考えてみなさいと言われてるような気がするからです。

いや、私はKanonてそういう作品だと思うんですがね(^^;;
ある意味ONEなんかも。ここのスタッフって、一貫して非日常を対比に日常の素晴らしさ(?)
を描き続けてるんだと思います。

>>直接的な生き方指導のメッセージをするような
>そういう物に出会ったことありますか?

いやー、ありふれてると思いますよ。
恋愛万歳、個性的に生きなさい、戦争って酷い。努力・友情・勝利。努力と根性で勝て。
民間伝承を歪めて教訓が付け足された教科書的昔話(ちなみに、妖精なんかが出てきても
そういうのをファンタジーとは呼ばない。寓話という)。
最近だとバーホーベンの右翼万歳な「軍に入ってヤンキーの敵はぶっつぶせ!」なスター
シップトゥルーパーズとか(いや、あれは皮肉だけど)。

SilentBellsさん>
>こんにちは。先日は私のスレッドにRES戴いて有難うございます。
雪駄さんのWEBページも見せて戴きました。

ああ、こちらこそありがとうございます。
ブギーポップは2000年にアニメ化までするそうで。多分、ライトノベルだと今一番勢いが
あるんじゃないでしょうかね。個人的には「パンドラ」が好き。
グイン・サーガは三十巻辺りまでは読んでました。当時は夢中になって読んだものだけど…

季節の喩えは分かりやすく、面白かったです。

あと、『箱庭世界をつくって、現実逃避している』作品がキモチワルイと批判される理由
は、箱庭が悪いんじゃなくて、その世界の都合の良い、心地よい場面しか映さないことだ
と思います。
同じ世界をず〜っと描く物語でも、視点を固定しないで、何気ない幸せの裏にある汚かっ
たり、哀しかったりする嫌な部分も描く事で箱庭の全てを描いてくれれば批判はあまり出
ないんじゃないでしょうか。
そういう意味だと、Kanonは世界の痛みも喜びも描いていて良いと思いますね。
いささか表現が奇麗すぎる気もしますが、名雪や真琴に酷い事をしてた癖にのうのうと生
きてた祐一とか、それでももう一度祐一を好きになる名雪とか…、祐一の手の中でなす術
も無く消えてしまう真琴とか。

kanna24【あゆ】さん>

>えっと、ある数学者に言わせると、
>数限りない奇跡の上に、我々の生活は成り立っている。
>奇跡無くして、今の私たちはないし、これからもない。

ああ、そんないい言葉が…
覚えておきます。

>簡単に言うと、どれを奇跡と認定するかは人による、と言うことでしょうか?

ええ、そういう事ですね(^^)