休日

朝一の電話で起こされる。
小さなトラブル。過去の経験からすると多分時間が解消。ということでそんな何もしないことを指示。
で、その後は何もなく布団を干したり音楽を聴いたり、前回に引き続き穏やかに。


とまぁ穏やかなんだけど、実を言うと会社の営業時間中はずっと電話がかかってくるんじゃないかということでまったく安らいだ気持ちにならない。
いつからかずっとそうで、なにかトラブルが起こるんじゃないか、というのはもう慣れたしどうでも対応できるのだけど、社長の恫喝電話が来るんじゃないかというのが怖くて、それに繋がるなにかが来るんじゃないかというのが怖くて、会社の営業時間が過ぎるまでは音楽をヘッドホンで聴く気にもならないし、いっつもびくびくしている。
実際には、何もないことの方が殆どなんだから、来たときにだけ対応すればいいんだけど。
性格なのか要領が悪いのか馬鹿なのかそれで時間を無為に過ごす。杞憂。
なら勉強でもしろよと思うが、折角の休みなのに仕事と関係あることなんかしたくない。


逃避。


こういうときは未知もまた恐怖になることに気づいてしまっていて、新しいものに触れることもできない。
既知の安心できる文字や音や絵を無為に眺めて過ごす。
なんて無駄な時間の使い方だと自分でも思う。
営業時間が終われば怖くないんだから、それこそ阿梨や名雪のごとく嫌な時間は寝てやり過ごせばいいんだけれど(彼女らと違って、夜なら俺は安心できるのだからずいぶんと幸せなはずなのだが)、フローリングの床は寒くて寝られない。
なんで布団を干してるんだ俺は。
というかそもそも朝方生活を続けてたせいで身体も昼寝を受け付けないんだ今は。
不安を紛わせる逃避は、逃げているという後ろめたさで苦痛を伴う。
安心がないのは怖いねぇ。


いつからか休む、ということが出来なくなった。
最初は時間的な問題。それから責任感。休めない状態が続く。
気がつくと、休んでもいいよ、と言われても、休むべき状況になってもどうやって休めばいいのかわからない。
多分、職場での自分に疲れている。彼らの前でどう抜けばいいのか分らなくなっていて、できない。昼飯も知ってる人の前では食えない。
仕事と接触しない場所にいても今はケータイで繋がっている。…ああ、電源切ればいいのか。


そのケータイでアクさんより、言葉をもらう。


「世の中には色んな物差しがあるわけであり。一日10分でも自分の時間をとれるようにしたいものであるよ。座禅?」


俺以上に仕事上の自分に縛られているであろう彼の言葉。
ケータイの電話を切って、10分間だけ行方不明になってみようか。
なんかそんな話があったな。グラニュレイテッド・ハピネス。お砂糖みたいな幸せ。


10分間だけ世界から消えてみると、なるほどいい気分転換かも。
休息。
生きを休むのが生きるために必要?
ケータイを休息のスイッチにするというのはありかもなと思う。
緊急連絡が怖いけれど、そもそも昔はケータイなんか持ってなかったわけだし。


繋がらないヤツのケータイも、そういうことなんだろう。