だうん

頭痛でダウン。定時で帰る。
薬飲んで寝て起きてコードギアスR2見て少し復活。


まぁ、感情の共有もあれだよな、自分を追認してもらう1手段。
辛いのは感情が共有されないことっていうか、自分を認めてもらえないこと。
悲しみを共有されなくても、悲しいってことがわかってもらえているなら、相手が一緒に泣いてくれるんでなくても構わないわけで。
自分のしたこと、自分の生み出したもの(感情を含めて)を認めてもらえれば生きていける。


許してあげる
その言葉があれば、生きていけると思ったんだ――


というのは、RE-TAKEか。
あとバスタードのDSがカル=スなんかへのそれとか。普遍的なもの。
「戦う!ニュースキャスター」における面接でのボランティアの話とか。
あと、グリーンウッドのお兄ちゃん。
目に見える数字とか、肩書きとか、そういうのがなきゃ、どういう風にがんばってるとか、どういうやつだとかわかんないんだよ。
まぁ、湖に浮かぶ白鳥が水面の下で水をかいているのがカッコイイという向きもあるんですが、一人くらいわかってくれる人が欲しいとも思うわがままな今日この頃っていうか限界?
一人がさびしいとは思わないけど、辛いというのはわかってきた今日この頃。
まぁ離れたところに仲間たちはいるので今度帰省したときにでも愚痴を聞いたり聞かされたりして発散すりゃあいいんだけど。
…って、そういう時間がないのが問題なのか。
傍にいれば時間ロスがないからガス抜きも容易。ていうか遠距離がうまくいかない理由を改めて?実感もしたり。
言葉発することもなくお互いに違う本読んだりゲームやったりしてても、時間と空間を通じてなにかを共有するっていう、あの感覚が恋しい。
「ここ、空いてますよ」
乙一の「暗いところで待ち合わせ」だったか。
空間の共有、感情の共有。なんにせよ、自分の存在を認めてくれる存在というのはひどく愛しいものだったのだな。