今はアルコールと音楽で動いています

休日に仕事をしていると電話。


「今どこにいる? バス着いたぞ?」



???となっていると会社の業績発表会当日だったらしい。
聞いてません…。
当然なんの用意もしてないので慌ててスーツを購入して5時間ほど爆走して滑り込んで社長だの取引先の偉いさんのお言葉に拍手。
そんな間にも俺不在の店では事件が起こってケーサツが来ていたり。
エヴァ新劇場版のDVDはいつ見られるだろう。
休みを作るようにしてみたものの、そんなこんなだのセミナーの準備だのなんだのもあってやっぱりまともな休日がとれない日々。
睡眠時間が足りないと出てくる頭痛や睡眠不足はアルコールで紛わせることに気づいて、生活スタイルが少し変化した。
で、やっぱりニコ動に癒されてみたり。
ONEやMOON.のムービー、BGMが本当に心に届く。
コメで感情共有でなんかを補給。ああ、俺はまだ死んでない。


2chやその実況スレ、チャット、BBSなんかによるそれよりも目の前に共有されている絵や音はダイレクトに繋がってる感、共有感を抱かせる。
ただ、簡易になればなるほどに感情は加工されなくなり、言葉も簡易になっていくのは良し悪しかとも思う。
伝えたい感情が言葉や絵を生み、作品となる土壌ってのが少なくなっていくわけで。
まぁ、それは技術の発展と共にずっとずっと続いてきたことで、伝えるための作品でなく、作品のための作品が純粋に作られるのも悪くないことだろうし、写真が出来てもそれが単なる真でなく作品足りえるように、手紙文化が廃れてもメールやケータイが新たな形を築いているように、変わることで面白いことも起こる(ニューズパレードの久米田夏緒の「携帯寓話」もなかなか面白かった)。


何もかも、変わらずにはいられないです。



小説や漫画、アニメ、ゲーム、映画、音楽を好きだっていう感情を伝えたくて、共有したくて。
放課後ダベってみたり、部活やサークルを探してみたり、雑誌やラジオに投稿してみたり同人作品作ってみたりといった光景は、パソ通やインターネットの掲示板、個人サイト、チャット、2chMixi、etcを経てニコ動まで来ちゃったという感じだ。
一緒に見て、聞いて、感想を話し合うっていう、最も原始的でだけどすぐ傍に波長が合う相手がいないと出来ないという行為が、引きこもった部屋に一人っきりでも出来てしまうという凄さ。
ニコ動でもコメントが少ないけどいい動画はあって、どっかで紹介・解説したり、盛り上げコメントで活性化させようっていうのはあるんだけど、やっぱ百聞は一見にしかずで、上げちまえば、貼っちまえば勝ちっていう手軽さがある(もちろん、素材加工にも労力やセンスが必要なんだけれど)。
すごい素敵なことだけど、10年前にニコ動があったら俺はサイト立ち上げたりONEレビュー書いたりしてなかったかもしれない。
それを思うと今の人たちも幸せだけど俺らの世代もそれはそれで幸せだったのだなぁとしみじみと思う。
個人的には、簡単に叶わないからこそ足掻いて足掻いて、感情を加工し届けようとする行為、それによる作品が好きなので、若いパワーある人たちはもう少し不自由して欲しかったりもするので、現在進行形の版権動画の規制はそういうの考えてもがんがって欲しかったり。