今年は雪が降らなかった

雪が降らなかったせいなのか、時間の経過のせいなのか、去年ほどには胸がざわつかず。
それをどう判断するべきかは、保留。

ここ一週間くらいの、世間に流れていたニュースやTwitterでの話題、オタサーの姫だとか、メンヘラ神の自殺だとかに対して、栗本薫の『仮面舞踏会』とか、『暗黒太陽の浮気娘』なんかが連想されていたっていうのはTwitterなんかに書いたけれど、もっと言えば僕はそこに彼や彼女のことを思い出していたりもした。

今の目からすると(いや、当時はそういう単語がなかったというだけで、jesちんなんかは別の言葉で同じようなことを言っていたのだけれど)、彼女は所謂ところのオタサーの姫だったように思う。
とはいっても、彼女は世間一般で言うようなサークルクラッシュを引き起こすようなことはなく、普通に仲間内の1人と正式に付き合い、祝福されたり羨ましがられたりはありつつも、少なくとも表面上は僕らの関係は壊れることなどなく継続し、そして、それがどうしてなのかは正確なところは未だわからないのだけれど、サークルではなく、彼女自身がクラッシュしてしまった。
彼女のクラッシュは逆に僕らを結びつけ、疎遠になりつつあった僕らは何年かの間、彼女を理由に何度か集った(その状況を知り一度その集いにも顔を出した彼女の弟さんが、そんな姉のことを凄いとweb上の日記に書いていたのを覚えている)。
今では妻帯者も多くなり、彼女を理由に集まるということもなくなってしまったけれど、それでも僕らが今でもつるんだり交流を続けたりしている理由の1つには、彼女の存在があるのではないかと思う。

彼女を僕らの元に導いたのは僕がこんな風に書いていたWEB上の文章や、仲間たちと一緒に作った同人誌だということで、彼女が仲間内の1人と付き合うようになったとき、それについてありがとうと言われたけれど、今の僕らを結びつけている理由の一端に彼女の存在があるのなら、それについて、僕もまた彼女にありがとうと言うべきだろう。

ありがとう。

…そういや、その言葉は彼女が最期にメールした言葉でもあったっけか。
まぁ、世の中にはサークルをクラッシュしなかった姫だっているのである、というような話。

……あ。更に思い出したけど、彼女のウチらの中での呼称って、姫じゃなく勇者だったわ(件の同人誌が欲しいからと、うちらが参加してた地方のイベントに単身突撃してきたことに由来する)。
オタサーの姫が男だったりすることも珍しくないようですが、うちの姫は勇者でした、ということで。

なんだこのオチ(オチてない)。