『劇場版まどか☆マギカ 叛逆の物語』の4度目の鑑賞をしてまいりました。

毎度片道120kmくらい運転するんですが、冬タイヤに換えたばっかりなのと、暗くなるのが早くなって暗い山道を走ることになって、つーかーれーたー。

例によってとりあえず適当にメモ。気がついたら付け足したりなんだりしましょう。
以下、ネタバレ。








・杏子はマミさんのこと学校でも「マミ」呼びなんだなー。おいこら一年生。素敵な関係だ。
・というか、杏子はまどかさやかと同い年で本当にいいのだろうか。2年じゃないの? 実はダブリ扱いとか…<義務教育です
・いやでも、ほむらと2人、ずっと学校行ってなくて1年からやり直してるとかの方がよくない?

・悪魔さんとさやかちゃんの会話、「まどかがまどかじゃなくなる前の情報をひっぺがしただけよ」みたいなことほむほむ言ってるから、やっぱり概念まどか、アルティメットまどかって、ほむらの中では「本当のまどか」じゃないんだな。ひっぺがした鹿目まどか、ナイトメア世界にいたあのまどかがほむらにとっての「本当のまどか」なんだ。
・対するさやか、「外で「本当のまどか」に会える」って台詞、さやかちゃんにとっての「本当のまどか」はアルティメットまどかなんだ。
・ほむら・さやか双方にとっての「本当のさやか」も多分そんな感じで違うのだろうな。

・『misterioso』のイントロがマッキーの『遠く遠く』にダブって聴こえる今日この頃です。
 「遠く 遠く 離れていても 僕のことがわ〜かるよ〜うに〜♪」
 歌詞の内容的にも結構合っている気がしないでもない。
・『君の銀の庭』のエンディングアニメーション、左が田舎で右が都会でおういう遠距(恋愛)っぽいよね。実質、そういうような話でしかないような気もしないでもない。


・音楽といえば、スタッフロール前の展開とBGMが『クロス〜狂気への道標〜』(凌辱ものエロゲ)の雫のエピローグみたいだなって、誰にも共感されなさそうな感想を抱きました。殺し愛というか、いつか自分を殺してねというか。

・ラストのリボンで閉じられた窓。ほむらが見た、まどかの救済の手(傷だらけで痛々しい)が伸びてきた窓だよね。ほむらのまどかへのもう傷つけない、傷つかないで、という意思表示なのだろうね。

・『君の銀の庭』とか、歌詞をどれだけ本編と関連付けて考えるのかっていうのは楽しいけれど、まー、飽くまで解釈の一つであって別に本編の一部ってわけではないよなぁ。変にこじつけるとせっかくの歌としてのよさが削がれる気もするのでほどほどに。

・ナイトメアを操る手の中指にカバーがしてあるのって、ソウルジェムの刻印が見えちゃうからなのかしらね、やっぱり。

・TV版での詢子さんの「正し過ぎるその子の分まで、誰かが間違えてあげればいい」って言葉と、それを受けてのまどかの行動(ソウルジェムを奪って、「正し過ぎる」さやかに魔法少女をやめさせようとした)っていうのが、まんま今回のほむらのまどかに対する行動と重なってるのがなんとも言えない気持ちにさせられる。