思い入れ

大晦日の田村vs桜庭戦について。
試合の前にスタッフロール流すとか煽り映像の赤い月とか、どんだけエヴァ好きなんだよ佐藤大輔とか<ロールの流し方までまんまってやりすぎだろ(笑)、色々と軽いことから重いことまで見た直後に書こう書こうと思いつつ。結局何も書けずに他所(すごい好きですこの方の文章↓)
http://d.hatena.ne.jp/frigidstar/20090101
を見たりしながら色々考えたりもしたのだけれど、自分は結局この試合というか、田村潔司という選手にただひたすら思い入れがあるだけで(なんと俺、高田より前に「お前はオトコだ」って田村に言ってます(笑)。男でなく漢だったけど。→ http://www2.odn.ne.jp/~aab17620/d0002-5.HTM#2.26 逆に桜庭にはまったく思い入れが無い)、最早客観的にいい試合だったとか悪い試合だったとかUの最終回だとかいう評価みたいのが自分にはまったく無いということに愕然とした。いや、本当は試合が始まった瞬間から気づいていたけど。
負けんな田村、としか思ってなく、一瞬一瞬に冷や冷やし、負けんなとテレビに叫び、勝った瞬間に安堵しただけだった。
選手の身内が空気読まずに会場でただひたすら熱狂的に応援してたり、リングを一切見ないで俯いていて終わった瞬間に涙するとかああいう感じを理解した一瞬。
桜庭の煽りのレガース改造手術とか、でもレガースつけて現れたのは別人で実際の本人は裸足で、対して本当にレガースつけてきた田村とか、素手で殴りたいと言ってたのは桜庭なのに、実際にボコボコ殴ってたのは田村の方だったという捩れたすれ違いとか、試合自体の攻防が見ていて面白いものだったのかどうかとか、なんか見るべきとことか考えるべきとこはすごいいっぱいあったと思うのだけれど、ただ、「田村が勝ってよかった」という感情しかないのだ、自分には。
あの攻防はどうとか技術論とか、歴史の積み重ねがどうとか、色々とこねくり回してきても格闘技ファンとしての自分というのは、好きな選手の勝敗という結果だけを全てとしていた。
魅せられてきた試合も、見つめてきた歴史への感慨も全部、選手への思い入れ、勝敗という一点に収束していて、いい試合が見たい格闘技の未来が見たいとかいうのが真っ赤な嘘で、試合内容なんかどうでもよかったという自分の事例は、今客観的に振り返ってみるとすごい考えさせるものだった。
もぺっとさんの身内意識→作品評価へのあれとは正反対のベクトルなのだけど、これはまたこれで真っ当なファンの態度なのではなかろうか、とか。
当たり前だけど、正解は一つじゃないってことなんだろう。
↑俺が赤い色好きだってのも惣流アスカのせいだって思われてるかもしんないけど、実はジョニー・ライデンと田村の影響がでかいとかいうのも一つじゃない正解(ぉ
参考:2:30くらいから。いつものように田村のテーマ「フレイム・オブ・マインド」に合わせて手拍子をしようと待ち構えていたファンは聞こえてきたいつもと違うイントロに手を動かせなかった。一瞬の間。しかし次の刹那その曲がなんなのかを理解すると同時に彼らは一斉に立ち上がり腕と声を上げていた。力の限り。