『魔法少女まどか☆マギカ』最終回まで二十数時間

 放映されるまではどんな最終回を思い描いてもそれは確定されない未来の一つ、あり得る可能性として真実としてあり続ける。シュレディンガーの猫…とはちょっと違うけどね。にゃーん。そういえば、OPでまどかが抱く猫や、雑誌の表紙でほむらの背後にいた猫って結局、アニメ化の際に付け加えられたもので、脚本の虚淵さん的には難の意味もないそうね。だからといってアニメ本編で本当にそうかというとまた別の話だろうけれど。
 『Zガンダム』が製作される前の1stガンダムの未来、『EOE』が公開されるまでのエヴァの結末。あと一日ちょっと後までの『魔まマ』の最終回。そういったものを愛しながら、同時にそれらが終わってしまうことを望んでいる。様々な可能性を秘めた少女の今を愛しながら、彼女が別の何者かに変わることを望む欲望。僕のまどかへの想いというのは結局、そういうものなのかもしれない。
 『魔まマ』における魔法少女への"変身"というのは、ぴえろ魔法少女などの"変身"が成長であったのとは正反対に永遠の停滞へと至る物なのだけれど、しかし「魔法少女」というもの、魔法少女の魔法の本質を何よりも表している。それは無限の未来を一つに確定し進むために捨て去られる、少女の幻想。