大丈夫な人は「大丈夫」なんて言わないんだよ

なんか気がついたらえらく気分が良い休日で、勉強まで始めてしまった。
本を読むこと。書きちらす、ということ。これらの行為が俺には必要だったんだ、と今更気づいた。
今やはるか昔、無職の姉と無職の俺で二人きり暮らして喧嘩ばっかしていたときにも一度気づいたことがあったけど、また忘れていた。
俺はなにか本を読まないと精神の平静を保てない。
恐ろしいことにあれほど愛していた「ゲーム」は実は俺が生きていくには必要ないらしい。
なんの役にも立たなくで必要ないものだからこそ、一番美しくて、好きでたまらないのだろうけれど。
言葉を読むことで安心する。書くと落ち着く。
これを書く前、さっきまたえらく落ちて勉強できなくなったんだけど、文章を書き出したら落ち着いた。
なんか、助けて、と発信したかったのだが、発信する前に勝手に復活した。なんだそれ。


昔うっちーさんとも話したことあるけど、自分の弱さだのなんだのを見えるとこに書くというのは、つまりそれを読んだ人に同情して欲しい助けて欲しいという意図が込められているわけで、事故憐憫も自己嫌悪も、表現してしまうなら、他者に対して発信してしまうならそれはSOSの信号なんだよ。「助けて」とは言ってないけど、そこには助けて欲しいという意思が込められている。
俺もやっちゃうし、そういうのを見てうっちーさんが不愉快になるのもわかる。
だってそれは卑怯だから。そこに責任が発生して無いから。
気づいて欲しいと思ってるくせに、助けて欲しいと思ってるくせに、そう言わない。はっきりとは言わない。でも期待してる。
日本的な「察しと思いやり」てやつ?
で、聡くてやさしい人が察して期待通りのことをしたとしても、期待してた当人は「そんなこと頼んでない」んだよね。
だからくだらないプライドだかなんだか知らないけど、お礼言うどころか、お節介なんて罵倒したりもできる。
勿論、本当に聡い人なら「頼まれてない」それも分ってるから無償で助けるし、お礼なんか言われなくても構わない。
予定調和の世界。
たまに美しい予定調和もあって、「ありがとう」の言葉が返ることだってあるし、心の中での恩義の貸し借りにカウントされて、逆の場合に助けられた側が頼まれずに次にそれを返したりもする。困ったときはお互い様。そういう中で俺らは生きている。


俺はこの「察しと思いやり」ていうのが大嫌いだ。


その予定調和への期待を前提とした身勝手な言動が。他人のそれを期待しつつ自分では返そうとしない連中が。
察せられて思いやられるのが当たり前だと思ってる人間は、それがどれほど高度なお約束で成り立ってるか知りもしない。
なんの責任も取る気がなく、ただ求め、与えられるのを当たり前のように待つなんて何様だよ。
つーか、種(義務)を蒔かずに実(福祉)だけ求めるなんて格好悪いと思わないのか。
そのくせ実の収穫が遅いだの文句たれたり酸っぱいだのもっと甘いくだの味の批評、要望なんぞされた日には最悪なわけだよ。
乞食だっていいけどさ、恵まれる自分の立場くらいは自覚しろよと、たまに自覚した乞食になる俺は思う(偉くねえ)。
だから俺は、察しても言葉にされない限りは気づかないふりをするし、無視する。察せられたら最大限の感謝を感じると同時に、恥じる。


逆に発せられる言葉には全力で応えたいと思う。


他人に頼む、その責任を背負う覚悟があるってことだから。それくらいの願いであるってことだから。
「助けて」
それを言いづらいのは分るよ。
自分ではどうにも出来ない、自分の無力を認めるってことだから。悔しいし惨めだよそんなん。
でも、本当にどうしようも出来ないなら、言うしかないじゃん。
そりゃあ察して思いやって助けてくれる人がいるなら幸せだろうけど、大概の現実はそうじゃないじゃん。
察したってめんどくさがって何もしてくれないやつの方が殆どだったろ?
いじめに気づいて助けてくれるヒーローなんてお話の中にしか存在しないの、自分の経験でも分るだろ?
#自分が助けを求める側だったか、求められる側だったかは、ともかく。
それどころか「頼む」とか「助けて」って言葉を発しても、誰も助けてくれないことだっていっぱいいっぱいある。
世界は願い望むようになんか、ならない。
言葉を発するっていうのは相当に勇気がいることだよ。こええよ。叶わなかった先には本当の絶望が待ってるんだから。
だからこそ、その恐怖を乗り越えて自分が自分として責任を持って言葉を発することに意味があり、何も負わず匿名で発せられる言葉になんの意味も無いんじゃねえか。
プライドを捨てて情けない自分を認めて「助けて」とすら言えなかったやつにはさ、「助けてくれなかった」なんて他人や世界を怨んだり、絶望する権利すらないんだよ。


ワンピースでナミがルフィに「助けて」と言うまでにどうしてあんなに時間がかかるのか、なんでルフィが全力でその言葉に応えるのかって話だよ。


そういう、話なんだけど。
そういう全部をわかった上で、「助けて」なんて言っても報われなくて最終的に絶望しちまう前に、希望も絶望も持たずに黙って消えることを選ぶっていうのもわかる話で、否定は出来ない。


でもさー、お前ら「CLANNAD」やってから考えてもよかったんじゃないの、と思う。
「物語はあなたの問題を解決しません」
でも、助けてはくれたかもしれないわけでさ。
つか、実際俺ら物語に逃げて助けられてきたわけじゃん。「永遠はあるよ」という言葉に、麻枝さんの書く愉快な高校生活に、真琴に美汐に、観鈴ちんに。
CLANNAD」が見事に俺らの、ダメ人間の物語だったことを考えると、半年早く出ていてくれたら、と思ったりもする。
まだコンプしてないから、結局最終的にどういう物語になってんのかはいまだにわかんないんだけど。