なくなる前に

余裕は多分すぐに消え去るので今のうちに書いておこう。
どうせ取材調査できんので妄言だしここで。

  • XBOX360は夢のハードだと思う。

それはグラフィックの美麗さであり、ワイヤレスコントロールやネットワークが標準化されたプレイスタイルの快適さがそう思わせるのだが、重要なのが、こういったものがかつてのゲーマー達が「いつか見た夢」の実現である点だ。
例えばパトレイバー漫画版、バドがシゲさんの下宿でゲームをしているシーン。
ソニックの体験版をLIVEで落としてそのままプレイしている自分の姿は、あそこに描かれていた未来の姿ではなかったか?
例えばメガモデム、XBAND、ドリームキャストニンテンドーサテライト。果たせなかったネットマシンの夢はここにありはしませんか?
繰り返し言う。360はいつか見た夢のハードだ。
一方、PS3Wiiはいつか見た夢を超えた存在だ。
パトレイバー劇場版における未来の携帯電話に対する、現実のケータイのようなものと言える。
「この作品はフィクションであるが、10年後には定かではない」
そんなフレーズがTVアニメ版パトレイバーにあったと思うが、フィクションを実現し、超えていっているという現実は確かにここにある。

  • 家族

麻枝作品を家族云々という安易なレッテルで括るのは個人的に大嫌いだったのだが、実際インタビューかナニカで家族どうこう言っているらしいので、そういう風にもちゃんと見なくてはダメなのだろうなぁ。
結婚式に関わる機会も増えてきて、まぁそういうことも考えるような環境でもある。
さて永遠。これを家族、結婚というフレーズで見てみるとまぁ確かにいろいろと作品に共通項が見えやすいし括りやすい。
MOON.の母親、肉親への拘り。ONEの永遠の盟約、KANON真琴の結婚。AIRの母娘、ずっと一緒にいるということ。
家族、血縁への憧憬。
麻枝作品における家族とは、まず血縁による親子、きょうだい関係として描かれる。
けして消せない血という繋がり。しかしそれは主に死別という形によって喪われている。
主体は喪われているのに消えない血の絆という永遠性、その矛盾。
家族を喪った主人公、或いは元々それを持たないもの。
彼ら彼女らは家族という永遠への憧憬を抱き、新たな家族を求め、不安を抱きながらも永遠の盟約を結ぶ。
そこには血縁という保証はないし、過去にそれがあった家族でさえも喪われているし、また結んだ後で喪われもする。


さてひとつ、あるWEB日記にあった話をしよう。


PCの自作が趣味の彼。家族や友人、知人にPCの相談を持ちかけられ、頼まれれば希望に沿うマシンを組んでやり、責任を持ってトラブルにも快くサポートに応じてくれる。
そんな彼、なぜか恋人がPCを欲しいと言い出したときにはPCを組んでやらななかった。
購入のアドバイスをし、いろいろとPCについて教えはしたけれど、友人にするように組みはしなかった。
なぜかという問いに彼は答えた。
「家族や友人ならずっと一緒にいられるけど、恋人ならそうとは限らないだろ」
ずっとサポートし続けられないかもしれないマシンだから組まないのだ、と。
暫くして二人は別れた。彼は予感があったのだろうか。


友達と恋人と〜♪ 決めるから〜 こじれるのかな♪


ずっと一緒にいるという約束が、逆に関係性の途絶につながったりもする。
それでも彼らは望むことをやめないし、叶わないかもしれない約束をするのである。